「退屈」が教えてくれたこと

こんにちは。本日のリレー日記を担当させていただきます、理工学部2年の成合俊瑛です。

とある一般教養の授業で映画を観る機会があったのですが、その映画を見終わったあとに、先生がおっしゃっていたことが、共感できる内容であったので紹介します。

その映画は『Bad ma ra khahad bord(風が吹くまま)』というイランの映画です。大まかなあらすじを説明すると、テヘランからやってきた男(業界人・エンジニアを自称する男)が、風変わりな辺境の農村に数日間滞在します。彼の本当の目的は、今にも亡くなりそうな老婆の村特有のお葬式の儀式をカメラに収め、記録すること。男はカメラを手に村を散策し、いつ訪れるか分からないその時を待ち続けますが、老婆はなかなか亡くなりません。携帯電話の電波を探して何度も丘に登ったり、村の少年と交流したりするうちに、男の心境に変化が訪れるという、ユーモラスで美しい映像詩です。映画を通して、何気ない風景描写や会話がメインで、率直な感想だと冗長な映画だと感じ、授業でなければまず観ないであろうとも思いました。

しかし、鑑賞後に先生は「もし、この映画が退屈に思えたなら、皆さんが普段見ているハリウッド映画などの数秒で何カットも入れたり、ダイナミックな演出などの情報過多な映像に慣れてしまっているからです」とおっしゃっていました。たしかに、アクション映画では派手な演出がないと満足できないなど、まさに私は派手かつ情報過多な映像に慣れきってしまっていたのだと再認識させられました。同時に、これまで自分が映画を評価する際、刺激的な展開ばかりを追い求め、作品に散りばめられた伏線やメタファーといった繊細な表現を完全に見落としていたのではないかと、深く反省させられる機会にもなりました。

この「一見退屈に思えるもののなかにこそ、大切な本質や変化が隠されている」という気づきは、今後の部活の練習にも通じるものがあると感じています。これからも、日々の地味で単調に思える基礎練習のなかにこそ成長のヒントがあると考え、一つひとつのメニューに意識を持って実直に取り組んでいきたいです。

拙い文章となってしまいましたが、以上で今回のリレー日記とさせていただきます。ご精読ありがとうございました。