オートテリック

こんにちは。本日のリレー日記を担当させていただきます、総合政策学部4年の小田切伊織です。

早いもので、前回の投稿から季節が巡り、大学生活最後の1年が始まりました。残された時間も決して長いわけではなく、限られた時間の中で「いかに結果を出すか」という責任感に身が引き締まる毎日です。
前回のリレー日記では、蓄積された経験を一度手放し、白紙に戻って学び直すことの重要性について触れました。今回は、その「白紙」の上に何を描くべきかという、より根源的な部分について、「オートテリック(自己目的的)」というものとともに共有できればと思います。

「オートテリック」とは、活動そのものが目的となっている状態を指します。何かを得るための手段として動くのではなく、その行為自体に報酬を感じている状態のことです。読書などで知識を得るためではなく、物語の世界に浸ること自体が楽しくてページをめくる手が止まらない状態のようなことを指します。
振り返ってみれば、17年という長い競技人生の中で、いつの間にか私の思考は結果ばかりを追い求めるように変わっていきました。確かに勝つこと、という結果を求めただひたすらに練習することに対して、全てが間違っているとは一概に言えません。しかし、知らず知らずのうちに、純粋な楽しさというものを二の次にしてしまっていました。

しかし先日、ふと自分がなぜここまで体操にのめり込んできたのかという根源的な記憶が蘇ることがありました。それは、技が初めてできた時の高揚感や、空中を舞う瞬間のあの浮遊感そのものに魅了されていた日々です。そこには「誰かに評価されるため」といったものは一切なく、ただ動くことが心地よいという、純粋に体操を楽しむ心だけがありました。この「自己目的的な遊び」の感覚こそ、今の私たちが最も大切にすべき「余白」ではないかと感じています。

大人になり、責任を背負うほど、私たちはあらゆる行動に「意味」や「正解」を求めてしまいます。しかし、白紙に戻った私たちが最初の一筆を書き込むとき、そこにあるべきなのは、自分を動かす原動力は、論理的な計算ではなく、「ただこれが好きだ」という抑えきれない衝動であってほしい。管理や戦略という強固な枠組みの中に、あえてこの「純粋な遊び」を共存させること。それこそが、凝り固まった思考を溶かし、真の意味で自己を更新し続けるための原動力になるのだと思いました。

大学生活最後の1年。結果を出す責任を背負いながらも、時には一人の体操を楽しむ人として、ただ純粋に競技を楽しむ姿を見せていければと思います。結局のところ、その熱量こそが、自分を動かす一番の原動力になるのではないでしょうか。

まとまりのない文章となってしまいましたが、以上で今回のリレー日記とさせていただきます。ご精読ありがとうございました。