本日のリレー日記を担当させていただきます。法学部法律学科2年の小林羽衣です。
2ヶ月あった夏休みも終わりを迎えます。みなさんにとってこの夏休みはどのような時間だったでしょうか。
わたしは七月末の練習中に足を怪我し、しばらく松葉杖生活を送りました。松葉杖を使用していると、両手あるいは片手が自由に使えなくなり、日常の様々な場面で不自由さを感じました。ですがそれと同時に、怪我をした時にすぐに対応してくださった人や、さっと動いてドアを開けてくれた人、物を落としてしまった時に「拾いますよ」と声をかけてくれた人などと出会い、優しさにもたくさん触れることができました。
わたしは高校1年生のとき、日本再生医療学会総会の中高生のためのセッション作文部門で「私の夢」というテーマのもと、「誰もが自分の「生」を肯定できる社会に」というタイトルの作文を書いて金賞をいただきました。その作文の中でわたしは、「病気や障害とともに生きていく人がいなくなることはないが、 「障害とは生きづらさ」であると考えれば、社会を構成する一人一人の意識で多くの人の「生きづらさ」を減らすことができるのではないかと思う。」
「病気は治ったけれど毎日の生活が辛い」という人がいなくなるような社会を作ることに関わりたいという願いを持つようになった。」と述べました。
この作文を書いた当時、わたしは生きづらさを抱えた人たちのことを想像し、日々の生活で苦しんでいる人がいることを意識して、その時表現できる最大限の言葉で文章を書きました。ですが短期間ではありますが、実際に自分が不自由な身体になってみると、思っていた以上に日常の中には生きづらさが転がっており、周囲のサポートがどれだけありがたく心温まるものであるのかを実感しました。わたしは理系学部ではなく法学部に進学したため、作文を書いた当時思い描いていた形で障害のある人や病気を抱えた人の生きづらさを解消する立場になることはできません。ですが日々の生活の中で、どんなに忙しくても周囲に目を配り、優しさを持って人と接することを意識することはできると思っています。
渡辺和子さんの『信じる「愛」を持っていますか』という本の中に、次のような一節があります。「人の憂いの傍らにたたずむ、文字どおり「優しい」人であるためには、まずその心が、理解されないことに苦しみ、心ない人の言葉に傷つき、寂しさに耐えかねることさえある生身のものでなければならないのです」※と。わたしは自分が不自由な体になってみて、初めてそのような人たちの苦しみを少しだけ理解できました。今回経験したことは、わたし自身が「優しい」人に近づくために与えられた試練だったのではないかと感じています。ですので、そんな「優しい」人であれるよう、日々努力したいと思います。
日本再生医療学会総会の作文は現在もネット上で公開されておりますので、以下のURLからぜひ読んでいただけますと幸甚です。そして1人でも多くの方に「誰もが生きやすい社会作り」を意識していただけましたら嬉しいです。
https://site2.convention.co.jp/20jsrm/images/prize_gold_text.pdf
拙い文章となってしまいましたが、これで本日のリレー日記を終了させていただきます。
最後までご精読ありがとうございました。
※『信じる「愛」を持っていますか』-出会い、夢、そして憧れ-渡辺和子 PHP研究所 P36