こんにちは。本日のリレー日記を担当させていただきます、法学部政治学科1年の佐々木眞歩です。
夏から一気に気温が下がり、秋が感じられるような日々がやってきました。皆さん、寒さに負けず、美味しいものを沢山食べて、体調に気をつけてお過ごしください。
今回は、少し前の体験をもとに書かせていただきます。私は秋が、小さい頃から一番好きな季節です。小学生の頃は、先生の話もそっちのけで、授業中窓ガラスから見えるいわし雲を見つけては、新しい季節の始まりに心をときめかせたり、習い事から家までの帰路で少し涼しい午後の風をふと感じて、爽やかな気持ちになったり、知らない家から漂う秋刀魚の匂いに家庭の温かさを感じて自分もお腹を空かせたりしていました。しかし、年齢が上がっていくにつれ、身の回りの生活が慌ただしくなり、そんな秋を感じるきっかけとなる日々も忘れていってしまいした。
しかし、忙しい日々から一転して、大学生になり、忙しさの中にもゆとりのある生活が戻ってきました。私は昔のように、休日は、午後の散歩や読書を楽しむようになりました。そのような日々の中、ある日の午後、一人で家の周りを散歩を楽しんでいると、ふと涼しい秋風が私の身体をすっと通り抜けました。その瞬間、秋が来たという喜びと同時に、風の感触につられるように、そこは全く別の場所であるはずなのに、小学生の時に見た光景が、まるで過去からの延長線上にあるかのように目の前にはっきりと映りました。日が落ち、優しい群青色に染まった住宅と道を仄かに照らすオレンジ色の電灯。知らない家の少し開いた窓ガラスから漏れる談笑と温かい夕ご飯の匂い。秋の訪れを家族の誰かに早く伝えようと帰路を急ぐ自分の姿。もうその全てが本当にノスタルジックで、愛おしくて、同時にあの頃の自分が寂しくて泣いているようにどうも思えて、どうして自分はずっと小学生の自分を思い出の中に一人にさせてしまっていたのか哀しくなりました。それは、親や周りの大人から守られ、自分の存在が無条件に受け入れられていた子供時代が、いかに貴重だったことに気づかず、忘れ、失いながらそのまま歳を重ねてしまったことに対する哀しみと後悔でした。ここ最近、私は20歳の誕生日を目の前にして、社会からは大人としての規範が求められる反面、自分の心持ちが非常に不安定で未熟なことに対して、不安を感じていました。何が自分の存在を肯定してくれるのだろうと、無意味に心の中を何度も探りました。しかし、あの日以来、自分が今まで過ごしてきた様々な日々が、温かな思い出となって自分を支えてくれていたことに気づけたので、自信を持って前へ進んでいきたいです。
今取り組んでいる体操も、やっていると楽しいことも沢山ありますが、同時に悩ましく感じてしまうこともあります。それは、体操が自分の今後の人生軸にはなり得ないことを自覚しているからかもしれません。それでも、この先どのような人生を送ろうと、いつか大学生の頃励んでいた体操競技が、自分を支えてくれるような温かい思い出の一つとなればいいなと思っております。
まとまりもなく、拙い文章となりましたが、以上で本日のリレー日記を終了させていただきます。ご精読ありがとうございました。