私はこの部が嫌いでした。
当時15歳の少年だった私にとって、慶應義塾体育会器械体操部は大嫌いかと聞かれればそうではなく、逆に好きかと聞かれれば首を縦には振ることはできないような存在でした。体操しか見ようとしていなかった私にとって、慶應義塾体育会器械体操部という組織の在り方は、どこか競技に対して不誠実に映っていたからです。時には競技よりも、集団としての在り方を優先する部は、不気味とすら感じていたのかもしれません。
だからこそ、そんな部の在り方に独り抗おうとしました。高校生の練習時間が終わっても一人で自主練習を続け、何処か間違った矜持を抱え、同質化の影から逃れようと必死でした。
しかし、そんな異分子に優しく諭してくれたのもまた慶應義塾体育会器械体操部でした。
首藤先生をはじめとする部の人間は、自分とは違い”大人”でした。隙を見ては、自分の”子供”な部分をを是正してくれる部の人間、おかげさまで思春期の少年だった自分は段々と”大人”に近づくことができました。
挨拶は形式的な所作ではなく、相手を慮ったコミュニケーションであること。
目上の人を立てることの合理性。
組織・チームとしての一体感が生む強さ。
体操ができるからといって何も偉くないこと。
とにかくたくさんのことを学びました。私の精神的な成長の歩みは誰よりもノロマだったかもしれません。だけれども、確かに一歩一歩大人に近づきました。
そんなこんなで、私は大学生になりました。
1年生当時、最初に書いたリレー日記を振り返ってみると、「高校時代に不完全燃焼だったから入部した。」と書いてあります。
これはきっと嘘ではありません。ただ、今になってみると少し違和感を感じます。
私はきっと、己の理想に己の才が追いつくことはないということはどこかでわかっていても、諦めがつかなかったのかもしれません。つまりは、見方を変えれば負け戦に身を投じていたというわけです。
そんな私を待ち受けていたのは、自分自身との戦いでした。過去のリレー日記でも度々話題に出しましたが、私はイップスを患いました。
きっかけはおぼつきませんが、おおまかにはコロナ禍による自粛期間でしょう。更に言えば、自粛期間によって生じた練習不足により、全国高校選抜を棄権したことでしょう。認めたくはないですが、そこで私に逃げ癖が付いた事を薄々自覚しております。
大学1年時は、軽度なものでした。動画フォルダを振り返ってみると、当時の私は平行棒の屈伸ダブルも鉄棒の伸身サルトも元気に行っています。
大学2年生時も、回数は減り、練習着姿だと途中辞めしてる姿も散見されますが、いざ試合着を着ればまだ技を掛けている姿が観測できます。
そして大学3年生時。動画フォルダを見返しても、件の技を実施している姿は見当たりません。それどころか、試技会において平行棒と鉄棒の演技を放棄している始末です。
この時期は毎日が苦しかった。朝目覚めるのが怖かった。練習場に行くのが怖かった。自分の存在価値が擦り減っていくのが怖かった。時には、積もりに積もった辛酸が形を為してしまうこともあった。
けれども、歩みを止めることは許されませんでした。いや、正しくはもう足は止まっていて、目を背けることを許されなかったという方が合っているのかもしれません。他大学とは違い、当時の弊部は試合に出場する選手を揃えるのもやっとな状況。自分が、平鉄を放棄することは当人だけの問題ではなく、チームの問題に直結する。そんな状況で自分は葛藤の最中、騙し騙し試合を乗り切りました。正直、まともに技を掛けられない中、団体戦をしようとしている自分への情けなさと憤り、そしてチームへの罪悪感でいっぱいいっぱいでした。でも、今ではそんな自分を黙認して、支えてくれたチームへは感謝の気持ちでいっぱいです。
大学4年時、ラストイヤー。最後までイップスとは連れ添いました。だけれども、昨年程苦しくはなかった。
私は徹頭徹尾、チームへの貢献だけを考えて体操に臨みました。
意地を張って、無理に維持していたDスコアは下げに下げ、貢献すべき種目で安定的に最大限の貢献ができるように、全身全霊でチーム戦に臨みました。
そして迎えた、最後の全日本インカレ。2部優勝には届かなかった。1部昇格にも惜しくも届かなかった。けれども、一縷の後悔もありません。
最終種目、吊り輪。自分は演技を終え、最終演技者の釜屋が演技をすることには、会場の無駄に眩しい照明が視界で乱反射していました。
試合結果が出ていないのにも関わらず、6人揃いに揃って号泣した事。今でも、あの瞬間に私たちが感じていた感情がなんだったのかはうまく掴めていません。やり切ったことの喜びなのか、報われたことに対する安堵だったのか、きっと言葉にするには複雑過ぎる感情だったのでしょう。しかし、人生における最高の瞬間だったのは間違いありません。
紆余曲折あったものの、この瞬間まで体操を続けて、体操を続けさせてくれて本当に良かった。
私の17年間はあの瞬間に報われました。
私はリレー日記において、4年間ある一つの命題に対して愚直に綴ってきました。それは「”大人”になることへの反抗」です。
皮肉にも、高校時代を経て”大人”に近づいたものの、今度はその重要性を知って拒否したのです。とはいっても、一様に大人になるといっても、様々な側面から総合的に評価すべきではあります。
私は15歳の頃と比べれば大人になりました。しかし、「見えないふり」を続けました。きっと合理的に考えれば、体操、延いてはイップスと向き合うことは理にかなっていない。だけれども、その結論に至ることを、心の奥底が否定した。だからこそ、私は「見えないふり」を続けるために「子供のふり」を続けました。
しかし、報われた今、その必要は無くなりました。これでやっと”大人”になっていけます。
振り返ってみると、「幕開け」というタイトルで始まったリレー日記ですが、以上で私、慶應義塾大学商学部4年、慶應義塾体育会器械体操部4年、浦口優のリレー日記とさせていただきます。7年間、ありがとうございました。
慶應義塾体育会器械体操部が好きかと聞かれれば、私はこう答えるでしょう。
私はこの部が大好きだ。