正解なんてものはない

皆様こんにちは、本日のリレー日記を担当させていただきます、法学部政治学科2年の伊保内啓佑です。今年ももうあと2日というところまで迫って参りましたね。我々は一昨日、練習を納め、今年も1年間使わせていただいた体育館に感謝の気持ちを込めて、昨日大掃除を行わせていただきました。綺麗になった体育館で、来年もより良い1年となるように精進して参りたいと思います。

さて、前回のリレー日記で私は「体操は物理のスポーツ」ということを申し上げました。自分の中で思考し、仮説を立て、実験し、結果を得ていくと、ある法則性が見えてきて、また新たな仮説が立てられる。これらのプロセスはPDCAサイクル(Plan→Do→Check→Action)とも呼ばれていますが、その法則性のバリエーションが増えてくると、もう実験をせずともやり方が予見可能になる、というような内容でした。
今回はここまで自分が述べてきた内容に対して真っ向から批判していこうと思います。クリティカルシンキング、大事ですよね。確かに、ここまで述べてきた内容はどこに行っても聞く話です。スタンフォード大学体操部の監督も同じ事を言っていたと聞きました。
しかし私が思うに、体操という競技の真に難しいところは、ある技が出来るまでその技の何が正解なのか分からない。さらに言えば、仮に出来たとしてもそれは正解とは限らないところだと思います。もっと良い方法があるかもしれません。これが新技習得で躓く一番の原因だと思います。

私が前回述べた内容はあくまで技の引き出しが相当数出来あがった後の話であり、その引き出しが少ないうちは、暗中模索をするしかないと言った状態になるわけです。それぞれの技には必ず正解があり、それは誰がやろうと変わりません。その技が物理的にどのような構造をしているのか、という所から正解は分かるはずなのですが、自分が実際にやってみないと分からないというのが現実です。実際にやってみたら、その負荷に身体が耐え切れない、なんてこともあるかもしれないからです。その現実を突きつけられた時に、自分が思っていた正解は不正解だったという事が初めて分かります。
つまり何が言いたいかと言うと、どれだけ正解を探したとしてもそれは基本的に見つかる事は無く、試行錯誤を重ねていくうちにたまたま見つかるものなのだ、ということです。だからこそ、その正解に辿り着いている先輩方や指導者には積極的にヒントを求めていく必要があります。改めて、そこの重要性に気付かされました。皆様、良いお年をお迎えください。

拙い文章となってしまいましたが、以上で本日のリレー日記とさせていただきます。ご精読ありがとうございました。