独白

こんにちは、本日のリレー日記を担当させていただきます、商学部2年の浦口優です。

近頃、桜も美しく咲き、春の訪れを実感します。しかし、時折冬の残滓を感じられるような肌寒い日も顔を覗かせています。季節の変わり目ですので体調管理には一層の注意を払いたいところです。

さて、前回のリレー日記でも述べさせていただきましたが、私は現在肩に怪我を抱えております。リハビリの継続により次第に回復傾向にはありますが、未だ満足に練習を行うことができないのが現状です。なかなか練習ができない苦しい状況の中、少し立ち止まって過去を振り返り色々と考えを巡らせました。今回は粗放ではありますが、それについて綴っていこうと思います。

まずは幼い頃の話から著述させていただきます。
私は幼少期から、俗にいうビッグマウスと呼ばれるような人間でした。周囲の自分より優れた才能を見て垂涎し、絶対に負けを認めてはならないという幼いながらの矜持から、理想をあたかもいずれ来る未来かのように嘯き、それに縋って思考停止状態で猛進していました。それが祟って中学に入る頃から現在まで、満足できる結果がひとつたりとも残ることはありませんでした。高校生の頃には、理想と乖離した現状に暗澹とし、試合を欠場したこともありました。幼い頃共にしのぎを削りあった仲間は自分よりずっと結果を残し続けています。そのような状況の中、高い理想を嘯きながらも徐々に自信は泡沫の如く消えていきました。そして、幼い頃憧憬した先人や仲間と自分との差はどこで生じているのか、そのような苦悩を抱えながら憮然として過ごしてきました。

先日、日頃お世話になっているある人からこんなことを聞かれました。
——お前は内村航平を見て天才だと言えるのか。
確かに内村航平はダイヤモンドの如き才を有しているのでしょう。しかし、それだけではあのような精緻で完成された演技にはならないように思います。己の天賦の無駄を削ぎ落とし、それこそダイヤのように美しくカットされ、研磨されてきたからこそ、あのような輝きを有するのでしょう。だからこそ、天才という一言で片付けるのは憚られます。
ただの天才というのは、有り余る才を持ちながら自らを磨くことを怠り、傲慢な輝きを放つ石塊をさすのでしょう。
では、自分は光り輝く金剛には至れないのでしょうか。私は現段階で、無理だと一蹴するのは愚鈍だと考えています。現在見えているのは、鉛の如き才でも、削り続ければいつか原石が現れるかもしれません。しかし、鉛を削りとった先には空虚しか残らないことも十分ありえます。だからこそ、多くの人は数多の時間と努力をかけたものの、水の泡となり、自らの努力や器を否定されるのを恐れて諦念を抱くのでしょう。

私は空虚と化すことをも恐れずに、かつての理想を追い求めたいと考えています。しかし、今のままでは鉛を剥がしきれずに終わるのでしょう。だからこそ、いかに効率的に鉛を削っていくのか常に思考を巡らせながら冷静に、己を金剛へと至らしめるよう猛進していきたい所存です。

独りよがりな文章となってしまいましたが、以上で本日のリレー日記とさせていただきます。ご精読ありがとうございました。