自己紹介

初めまして。本日よりリレー日記に参加させていただきます、法学部政治学科1年の釜屋有輝(カマヤ ユウキ)と申します。以後、宜しくお願い致します。

今回は初めてのリレー日記ということで自己紹介をさせていただきます。

私は愛知県名古屋市に産まれ、すぐに千葉県船橋市にやってきました。今思い返すと私自身、幼少期の方がハードな生活を送っていたような気がします。小学校は家の近くに公立の小学校がありましたが、そこにはあえて通わず私立の小学校に小学校受験を経て、入学することになりました。小学校1年生のまだ右も左も分からないような状態で1人、電車に1時間揺られて小学校に通えていたのは我ながら今思うとよくやっていたものです。この頃からすでに地元の船橋ジュニア体操クラブで練習をしていましたので、朝から学校に行き、その後練習に行って夜9時に帰ってくるという生活が小学校低学年時から普通になっていました。小学校高学年になると、周りも徐々に進学について考え始め、クラスの8割は中学受験をするような小学校でしたのであまり強い意志もないまま皆につられるような形で中学受験をすることを決意しました。しかし、この小学校4年生~小学校6年生までの受験期が私の中で一番つらい時期でもありました。体操と受験勉強の両立は自分自身が想像していた何倍も大変なもので、両親からも塾の先生からも受験勉強に専念することを何度もすすめられました。しかし、それでも体操をやめる選択はせず、今まで通り塾の模試を受けては、体操の試合に出場しての繰り返し。そして受験本番2か月前、小学校6年生の冬に開催されたU-12全国大会にも出場しました。この時は本当にどうなることかと思いましたが無事、第一志望であった慶應義塾中等部に入学することができました。両親をはじめ、多くの人に迷惑をかけてしまった3年間の受験期でしたが周囲の人たちの支えがどれだけ大きな力となるかを身に染みて感じることのできた時間でもありました。

中学に入ってからは、受験も終わり、体操のことしか考えていないような日々が続きました。今まででは考えられないような生活でしたので今思い返してもあの時の充実感は忘れることができません。高校に入ってからも体操に対する思いは決して変わりませんでした。むしろ、どうしたら試合で点数が残せるか、どうしたら結果が出るかと今まではただ単純にできた技を通しの中に組み込むだけだった体操が、少しずつ頭を使える体操になっていったのもこの頃からでした。それが結果として実を結んだのが高校生最後の年のインターハイでした。Dスコアでは他のチームに劣っていたものの、私たちが決勝に残ることができたのはミスをしない体操、Eスコアを重視した体操を意識していたからです。まさに日頃の努力が報われた瞬間、さらにそれを共に練習を積んできた仲間と一緒に感じることができたのは何物にもかえがたい経験でした。

大学生となった今もこうして慶應義塾体育会器械体操部として体操を続けることができているわけですが、もうこの年まで来てしまったんだという思いが今は強いです。学生として、チームとして体操ができるのもあと4年と考えると本当にあっという間です。だからこそただでこの体操人生を終えるわけにはいきません。自分にしかない経験を生かしてこの4年間が今までで1番素晴らしい体操人生だったと大学を卒業するときに胸を張って言えるようこれから最大限の努力を尽くしていく所存ですので、是非ともご指導ご鞭撻の程よろしくお願い致します。

拙い文章となってしまいましたが、以上で本日のリレー日記を終了させていただきます。ご精読ありがとうございました。