123

こんにちは、本日のリレー日記を担当させていただきます、法学部法律学科3年の立花陽空と申します。

先日の部内戦で代交代が行われ、この度私が、慶應義塾体育会器械体操部123代目主将を務めることになりました。日本一長い歴史のあるこの慶應義塾体育会器械体操部の1ページに革命を起こせるよう、部員一同、全力を尽くして参ります。1年間、よろしくお願いいたします。

さて、私は123代目と聞き、123という数字に何か昔懐かしいような気持ちが蘇りました。「いちなざかしょう、1・2・3」。このリズミカルに大きな声で歌った記憶、、。そうです、私の小学校の校歌です。私の6年間育った仙台市立市名坂小学校は、仙台市で123番目に出来た新しい学校で、校歌に1・2・3という歌詞が3度も入っています。私は幼いながらも、「めっちゃ123番目を推すやん」と内心思いながら歌っていたことを思い出しました。今回は、最近大学全体ミーティングで自分を知ってもらおうという会を開き、部員の意外な過去の話などを聞けたので、先ほどの話との繋がりもあり、私の小学校時代を少しお話ししようと思います。皆さん、新聞記事を流し読みする程度で、気楽に読んでいただけると幸いです。

私は市名坂小学校に入学した後、すぐに転校した経験があります。しかし、転校してすぐに震災があったため、小学校3年生でまた市名坂小学校に戻ることになります。ここでの一番の記憶といえば、1年生で入学式から席が隣で仲が良かった女の子がいたのですが、3年生で戻ってきた時に変な期間が空き、お互い少し恥ずかくなったのか、一度も会話をせずに彼女が引っ越してしまったという経験があります。T.Mさん、元気にしていますか。私は当時あなたのことが好きでしたよ。と言っても、私が慶應に入学していることも、体操を今続けていることも彼女は知らないと思いますので、また何かの機会で会えた時に、笑い話としてお話しできたらいいです。4年生から、私の小学校では授業の後にクラブ活動に入らないといけないというルールがありました。サッカーや野球といったクラブがある中、私はダンスクラブや料理クラブを選んでいました。ダンスは好きだから、料理は放課後にご飯が食べられるという理由で入りました。業間休みと昼休みは外に出ず、ホールでみんなとダンスの練習をしたり、家庭科の調理実習では誰よりも真剣に取り組んでいたので、今思い返すと入った理由は適当にしろ、そのことについて真面目に取り組んでいた自分を褒めてあげたいです。6年生で一番覚えている経験は、中学受験をする人たちで集まって自習をしたり面接対策をした経験です。市立の小学校だったので中学受験をする人は少なかったですが、受験をする人たちのために先生方が特設クラスを作ってくださり、遅くまで勉強や面接対策を教えてくださいました。こんなに生徒一人ひとりに尽くしてくれる小学校は、他にないでしょう。小学校6年間は、学校の後に体操クラブに向かい、22時に帰宅する生活を毎日送っていたので、宿題や準備をするのは大変でした。しかし、細かく計画を立ててから行動する今の性格は、この時に養われたと思うといい経験だったなと痛感しています。しかし、全て体操が軸の生活でしたので、小学校6年生の頃は練習着を着て学校に通っていました。その影響で、卒業式の写真が練習着だったというところだけ、過去に戻っておしゃれして撮影したいです。でもこれが、当時の立花陽空なので、これはこれでいいのかもしれないです。

このように過去の自分を振り返ると、やり直したいことや後悔したことがないとは言い切ることができませんが、今の自分を形成する上で、かけがえのない経験だったといえます。この経験を人に話すことで、この人がどういう経験をしてきて、どういうことを考えているのか分かるので、お互いの理解も深まります。そんな機会を私はこの1年間、部のトップとして同期と一緒に活動する中で大切にしていきたいなと思います。長々と自分の過去の話をしてしまいましたが、今回はこのくらいにしておきます。

4年生が引退し、体育館は少し寂しいような日々が続いていますが、わたしたちの代全員で部員を引っ張っていき、慶應義塾体育会器械体操部の歴史に革命を起こせるよう努力して参ります。新体制となる慶應義塾体育会器械体操部も、応援の程よろしくお願いいたします。

拙い文章となってしまいましたが、以上で本日のリレー日記とさせていただきます。ご精読ありがとうございました。