こんにちは。本日のリレー日記を担当させていただきます、理工学部物理情報工学科2年の黒沢星海です。
―心を無くさず楽しく普通に生きられるように工夫をしたほうがよい。その中でも大切にしたいのは、季節を感じるということである。
―それを忘れてしまうと俳句から季語が消えるように味気ないものになってしまう。
音楽家として知られる星野源さんの短編集、『いのちの車窓から』より、『恋』というエッセイの一節である。昼間に集まって遊ぶ中高生や、眼を擦る人々の様子に、季節の移り変わりを感じる今日この頃、その光景がより一層心に沁みる、美しい文章であると思った。
彼の著書を読んでいて、とある思いがひとつ、確信へと変わった。私は星野源が羨ましい。彼のお嫁さんがあの国民的女優だからではない。音楽も文学も、そのセンスを持ち合わせているからである。広く世間に愛されるようなポップスから、しんみりと寄り添うようなバラードに至るまでの、鋭利な音楽感覚。そしてそれに裏付けされた歌詞には、日本語の美しさや遊び心が含まれている。エッセイを読んでいても、簡潔で情景を思い浮かべやすい、しかし奥行きのある言葉が並んでいる。
もちろんそれらの才能は、彼が積み上げてきた努力の結晶とも言えるだろう。彼の生い立ちから察するに、一朝一夕の賜物ではないことは確かである。だから、羨ましいとか、妬ましいという表現よりも、自分もああなりたい、憧れの存在という言葉の方が適しているのかもしれない。
人間の心というものは、まさに難攻不落の迷宮のようだと、常々思う。そしてそれに対抗すべく、人類は長い文明の中で、言葉という攻略アイテムを獲得した。全容は見えずとも、部分部分を表現する手段があるからこそ、自分が、そして他人が、ダンジョン内で迷わないようになる。
星野源はそんな攻略アイテムの上位互換を2つも上手く使いこなしている。これこそ、彼が憧れの存在となりうる理由である。音楽、そして文学という表現によって、自分が迷いそうになったとき、または他人がそうなったとき、迷路を抜け出せるようになる。あるいは心の僅かな機微を、ダンジョンの隠し部屋へ案内するように、言葉にのせて届けることだって可能だ。私だって出来ることならこんな芸当を軽々とやってのけたいものである。もはや私に限らず、世界中の全人類ができるようになるべきことである。誰もが抱える心の中のゆらめきを、美しい文章として他を毒さずに、または他に勇気を与えるものとして零していけたなら、それは素晴らしいことだ。まだまだ遠く遥かな道のりではあるが、たくさんの言葉を食べ、たくさんの文章を書き、私も心の攻略アイテムを少しずつ獲得していきたい。
春はやがてすぐに訪れるだろう。そうしたら、できるだけたくさんの本を読もう。あと、花見にでも行こう。忙しさの中にも季節を感じないといけないし、去年の桜の樹の下には何が埋まっているのか、確かめてみたいから。
長い文章となってしまいましたが、以上で本日のリレー日記とさせていただきます。ご精読ありがとうございました。