こんにちは。本日のリレー日記を担当させていただきます、法学部政治学科4年の釜屋有輝です。
その日は生憎の雨でした。「幸先良し。」とはとても言えないほどの。この入学式という華々しい日も友達と撮った写真を今見返すとどこか薄暗く感じます。しかし、そんなスタートダッシュから一変、私の大学生活を彩ってくれたのは正しくこの慶應義塾体育会器械体操部であります。
【1年目】
高3の引退以降、少し体操から離れていましたので入部当初は体を戻す作業からのスタートでした。と同時に、体操だけでは何か物足りなかった当時の私は公認会計士試験の勉強にも励み、練習以外のあらゆる時間を勉強に費やしました。忙しさが結果に比例すると考えていた自分にとっては順風満帆な生活と言えました。体操では徐々に試合がノーミスで回れる程の体力を取り戻し、その合間を縫って勉強も順調に進んでいる、そういった意味で1年目はまだ良かったのかもしれません。
【2年目】
その過程がどれだけ上手く行っていても結果が奮わないと、とてつもない焦燥感に駆られるものです。順調に進んでいると思われた勉強も蓋を開けてみれば合格点からは程遠く、体操では怪我の影響で戦線離脱という現実を突き付けられました。今思えば私は体操ができなくなった時のための「保険」で勉強を続けていたのかもしれません。体操に全身全霊を注いだことがあるかと聞かれればお世辞にも首を縦には振れませんでした。このまま両方とも結果が出せず終いになることを恐れた私は、この部活に全てを捧げようと決めました。大変遅くなりましたが、私の体育会生活はここから始まったのです。
【3年目】
冬場の練習は駒澤大学との合同練習が主でした。ジュニア時代、共に練習していた仲間の成長ぶりを横目に火がついたのを覚えています。彼にあって自分に無いものを模索した結果、それは「通しに対するハードル」にあると結論付けました。怪我で練習ができなくなってから急ピッチで調整、全日本インカレに出場したものの結果はボロボロ。当時は通しに対して不安と恐怖でいっぱいでした。そこで、まずは技を抜けるだけ抜く、ある程度体力的にも精神的にも余裕が出てきたら技を入れていく。そんな通しつつ、技練しつつの簡単そうで中々できていなかったことを永遠に繰り返していきました。そして、初戦の東グループ。冬場の練習の答え合わせとも言えるこの試合でノーミス、自己ベスト更新。あやふやだった練習の方向性が正しいと証明された瞬間でもありました。その後の東日本インカレもノーミス。自分のレベルが1部でも通用することを知りました。試合を重ねる毎に自信が積み重なっていく感覚がとても心地良かった。そして、迎えた全日本インカレ。1部昇格には僅かに及ばなかったものの、この試合は私を大きく変えてくれました。誰かのために頑張る力の偉大さ。遠方から応援に駆けつけてくださる先輩方、部員のみんな、そして何より今一緒に闘っているメンバー。個のレベルで言えば自分たちは敵わなかったものの、結果的に自分たちはその上を行くことができました。仲間を信じ、一体となって闘うことが時に個の実力を凌駕するということをこの結果を通して知ることができたのです。
【4年目】
この試合を以て代交代し、自分が副将という立場でチームを引っ張ることとなりました。惜しくも達成できなかった1部昇格を必ずや果たすことを誓いました。どうすれば自分が試合でミスをしなくなるかは何となく分かり、今度はそれを皆に還元していく番だと心に決め、年中通す日々が続きました。モチベーション維持は間違いなく難しかっただろうに、後輩たちは本当によくついて来てくれたと思います。新たに入った1年生も私たちと同じ方向性で練習をしてくれるか不安でしたが、そんな不安が阿呆らしく思えてしまう程、彼らは一生懸命ついてきてくれました。4年目にして初めて追われる立場で臨んだ全日本インカレ。結果は去年と同じ2位だった。しかし、去年の悔しさを超えることができた。1部昇格という目標、そして何より自分が目指していた副将像をこの試合で体現することができたことにこの上ない嬉しさを感じることができました。思えば私を副将という立場に選んでくれた同期は「競技でチームを引っ張っていって欲しい。」という何とも曖昧で、抽象的なテーマを残してくれました。自分がチームに対してできることは何かを考え続けましたが、結果的にチームに対して私ができたことはほんの微々たるものでした。
10月5日の部内戦を以て、16年間の競技人生に幕を閉じました。多くの方に囲まれ、これ以上無い引退を迎えることができました。自分はこの部に何か貢献できただろうか、飲み会終わりのふわふわした頭でそんなことを考え、家に帰ってから後輩たちが作ってくれた色紙を読みました。するとそこに、印象的なメッセージを書いてくれた後輩がいました。
「この人になら任せて大丈夫と思えました。」
上手く言語化できていなかったのですが、間違いなく自分が目指していた場所はここでした。1人1人の練習を見て、その練習に上手く言及できる自信がなかった私は、最低限自分が正しい背中を見せる。そのために常に先頭を走り、「この人なら決めてくれる」という安心感を与える。自分の中でその達成感があれば良いと腹を括っていましたが、それが誰かしらに伝わっていたことを知り、報われた気がしました。
辛い日々もあったけれど、最後は笑えて良かった。10月5日は季節外れの猛暑となった、これ以上ない快晴でした。私の大学生活は正しく、雨のち晴れるや。
拙い文章となってしまいましたが、以上で本日のリレー日記とさせていただきます。7年間、いや中学の時から定期的にお世話になっておりましたので約10年間、本当にありがとうございました。