格言

こんにちは。本日のリレー日記を担当させていただきます、経済学部3年の内田祥子です。

5月も半分が過ぎようとしている今日この頃です。世間では五月病という言葉が聞かれる時期なのかと考えていますが、私は五月病と言って不調になっている暇がないほど多方面で充実した日々を送っています。忙しいだけでなく、目に見える成果を出せるよう精励する所存です。

突然ですが、皆さんは格言と聞いて思い浮かぶ言葉はございますか。格言とは辞書的な意味では簡潔に人生の教訓や真理を述べた言葉のことです。その役割は人生の羅針盤として、目標達成のヒントとなり自己成長のための指針となること、困難に立ち向かう勇気を与えること、人生の経験や教訓を伝え、次世代に引き継ぐことなどがあります。

私は暫く格言を調べるのに夢中になっている時期があり、様々な偉人やアスリートが残した言葉を知りました。有名なものでいうと、トーマス・エジソンの「私は失敗したことがない、ただ1万通りのうまくいかない方法を見つけただけだ」や王貞治さんの「努力は必ず報われる。もし報われない努力があるのならば、それはまだ努力とは呼べない。」などです。格言の中でも特に私は「Life is what you make.(人生は自分で作るもの)」という言葉を常に心に留めています。失敗や思い通りにいかない現状に不満を抱くのではなく、満足できるような行動をとる。それが成功や満足に繋がると思っています。

ただ、どんなに良い言葉を聞いても自分には響かない時期もありました。当時ある目標に向かって取り組んでいる時期であり、視野が狭く、他人の言葉が耳に入らないような状況でした。結果から言うと目標は達成できましたが、同時に多くのものを失った気がしました。目標のためには犠牲にしないといけないものが多くあります。しかし、犠牲にする必要のないもの、無くしてはいけないものを見分けられる冷静さや視点は常に持っておきたいと思ったのを覚えています。

大学生活も残り半分と言える時期になり、最近大学入学時に卒業の際、何を得ていたいか、どんな目標を達成したいか考えていたことを思い出しています。私が入学時に立てた目標は人の心を持ちつつ、目標は全て達成することです。人の心というのは自分に余裕がなかったり、辛い状況であったりしても周りの言葉に耳を傾ける姿勢を持つこと、誠実さを持って接することです。目標とは部活面では今までに自分で立てた引退までの目標、部活を通して何を得たいもの、貢献の仕方それぞれを達成すること、勉強面では夢を叶えることです。双方の目標に関してはまたの機会に詳しくお伝えできたらと思います。現在目標に向かい進んでいる最中なので自分を客観視しつつ、全力で取り組みたいと思います。

拙い文章となってしまいましたが、以上で本日のリレー日記を終了させていただきます。ご精読ありがとうございました。

アフタヌーンティーに学ぶ温故知新のこころ

こんにちは。本日のリレー日記を担当させていただきます、商学部3年の五十嵐美文です。

本日記を書いています現在5月5日18時23分はゴールデンウィーク真っ只中であります。いつも通いなれた商店街も、今日は活気であふれ、街全体が少し明るく見えます。連休の終わりが近づくと、少し寂しさを感じるものですが、私は嘆くよりも前向きにとらえたいと思います。

突然ですが、先日、部活の後に現マネージャー4名で自由が丘のアフタヌーンティーに行きました。私にとっては初めてのアフタヌーンティー体験で、予定決行日が近づくにつれ、胸が高鳴りました。ただ一方で、「そもそもアフタヌーンティーとは何か?」という基本的なことすら知らないまま臨むのはどうなのかとふと思い立ち、事前にその歴史や伝統的なマナーについて調べてみることにしました。

アフタヌーンティーとは、19世紀中頃のイギリスで生まれた喫茶の習慣であり、格式高い文化として知られています。つまり、先ほど私が「アフタヌーンティーに行きました」と記しましたが、この表現はやや軽率であり、本来の意味を正しく反映しているとは言えません。一見すると、アフタヌーンティーは現代の私たちの生活からかけ離れた存在のようにも思えます。しかし、その背景には、夕食までの空腹を満たすための小さな工夫や、親しい人々と語らいの時間を楽しむという、時代や国を超えて共感できる人間らしい営みが息づいています。
今日、私たちがカフェやホテルでアフタヌーンティーを楽しむという行為は、単なる「映える」体験にとどまりません。そこには、過去の文化を現代に引き継ぎ、あらためてその価値を見出すという再解釈の姿勢が見て取れます。
スコーンの割り方や紅茶の飲み方など、ひとつひとつの所作にも長い歴史とマナーの意味が込められており、それらを理解することで体験の奥行きは一層深まります。

過去の知恵や文化を学び、現在の生活に活かす——いわば温故知新の精神こそが、アフタヌーンティーの真の魅力ではないでしょうか。その心を、今後も忘れることなく、日々の暮らしを豊かなものにしていきたいと感じています。ぜひ皆様も、日常を少し離れて、こうした文化に触れてみてはいかがでしょうか。

拙い文章となってしまいましたが、以上で本日のリレー日記とさせていただきます。ご精読ありがとうございました。

温度調整

こんにちは。本日のリレー日記を担当させていただきます、法学部法律学科4年の森千紗です。

5月に入り、長袖では少し暑く感じる季節となりました。試合応援もいよいよ体育会ポロシャツに衣替えです。試合シーズンの始まりとともに、あの地獄のような暑い夏の始まりとも言えるかもしれません。皆様ぜひ御体には気を付けてお過ごしください。

さて、私は最近人との距離の取り方や人への頼り方について考えることが多々あります。チームをマネジメントするうえでも極めて重要なことかもしれません。近づきすぎれば依存や負担を生み、離れすぎれば孤独や断絶を招く。だからこそ、その中間を見極める感覚が求められます。距離の取り方には個人差があり、相手との関係性や性格、経験によっても異なります。例えば、親しい友人とは心の内を自然に共有できても、コーチや先輩方にはある程度の礼儀と節度が求められます。無理に距離を縮めようとすると、相手にとっては侵入されたように感じられることもあり、一方で過度に壁を作れば、相手が近づくことをためらってしまう。大切なのは、自分が安心できる距離を保ちつつ、相手にも配慮する柔軟さを持つことだと思うのです。

そして「頼る」という行為もまた、その距離感に深く関係しています。頼ることは、決して弱さではありません。むしろ、自分の限界を認め、他者の力を信頼するという意味で、成熟した行動だと言えますが、それが常習的になると依存とみなされる恐れもあります。人に頼るときには、自分の責任を放棄しない姿勢と相手の余裕や気持ちを尊重する姿勢が欠かせません。

私はつい「迷惑をかけたくない」と思って一人で抱え込んでしまいがちですが、人間関係において必要なのは、「頼っても良い」という相互理解と「断っても良い」という自由を認め合うことだと思います。頼ることと甘えることの違いを見極め、必要なときに必要なだけ助けを求められる人間関係こそ真の友情であり、私の目指すチームなのかもしれません。常に相手の立場に立つ視点を忘れず、信頼と安心に満ちた関係を築いていくため、これからも日々精進いたします。

拙い文章となってしまいましたが、以上で本日のリレー日記とさせていただきます。ご精読ありがとうございました。

無意識で健康に

こんにちは。本日のリレー日記を担当いたします、法学部法律学科4年の立花陽空です。

早いもので今年もすでに5月。世間ではいわゆる“五月病”が話題になり始める時期となりました。皆さん、時には肩の力を抜いて、子どものように目の前のことに没頭しながら、純粋に日々を楽しんでいきましょう。

さて、皆さんは「意識して続けていたことが、いつの間にか日常になっていた」という経験はありますか。たとえば、ダイエットのために食後のアイスをやめていたら、いつの間にか食べなくても眠れるようになったとか、節約のために水筒を持ち歩いていたら、それが習慣になっていた、など。きっと誰しも一つはあるのではないかと思います。

私の場合、それは「水」でした。

小中高生の頃の私はとにかくジュースが大好きで、練習中や食事中も常にジュースと共にある生活。お店で水を買う人の気持ちなど想像もつかず、「今日は何を飲もうかな」「新作の味が出たら買いに行こう」など、常にジュースのことばかり考えていたのを覚えています。もはやジュースと“付き合っていた”と言っても過言ではないかもしれません(笑)。

大学に入ってからも食への興味は変わりませんでしたが、自炊を始めたことで料理動画や有名人の食事ルーティンを見るようになり、そこで共通して語られていたのが「毎日2リットル以上の水を飲むことが健康や美容に良い」ということでした。初めは半信半疑で始めましたが、味もしない飲み物にお金を払って気持ち悪くなる…という最悪のスタート。それでも1ヶ月、2ヶ月と続けるうちに、気づけば今ではもう3年目に突入しようとしています。

「水を買っている自分、ちょっと意識高くてかっこいいかも」と自分に言い聞かせながら買っていた時期を経て、今では飲み物を買うときは無意識に水を選び、家にあるのも水か無糖の炭酸水だけ。友人と外食するときは好きなものを飲みますが、一人で買い物をするときにジュースを飲みたいと思うことはほとんどなくなりました。

このように何かを我慢しながら習慣化するのはとても難しいことです。私がその壁を乗り越えるために意識したのは、「ポジティブに捉えること」や「その行為自体を楽しむこと」です。「水を飲んでる自分、健康意識高いなあ」「水って意外と甘くておいしいかも」など、小さな気持ちの切り替えが習慣化にはとても大切だと感じます。このような意識の持ち方は、部活動でもきっと活きてくると思います。体育会という今までにない環境に飛び込み、初めは戸惑うことも多いですが、それらのルール等をネガティブに捉えるのではなく、むしろそれをポジティブに捉えて、体育会の一員として活動できることに誇りを持ち、そして全力で「体操を楽しむ」ことが大切だと、改めて感じました。

拙い文章ではありましたが、最後までお読みいただきありがとうございました。以上で本日のリレー日記を終わらせていただきます。

さくら花散りかひくもれ

こんにちは。本日のリレー日記を担当させていただきます、理工学部物理情報工学科4年の黒沢星海です。

つひに行く道とはかねて聞きしかときのふけふとは思はざりしを

誰もが通る道だと聞いていたけれども、それが昨日や今日の話であるとは思わなかった。そんな意味の込められたこの句は、ちはやぶる、で有名な百人一首の歌の作者でもある在原業平の辞世の句だ。ここで言う「誰もが通る道」というのは、辞世の句であるからもちろん、死への道のことを意味している。六歌仙に選ばれるほどの著名で巧みな歌人であり、伊勢物語の主人公であるとも推察される彼は、優雅な人生の最期に何を思ったのだろうか。

4年生になったことの責任感について綴られた、先日の同期のリレー日記を読み、4月も後半にして、ついに最高学年になったことの重みを感じた。メールの署名など、テンプレートを用意していたものを書き換えなければ、と思いながら、メールを送ることなんてほとんどなかった大学入学当初を顧みる。体育館に入ると、真っ先に上級生に挨拶をして回っていた頃から年月が過ぎ、今では皆が集まってくる立場になってしまった。集合のときに名前を呼ばれる1つ上の先輩の姿を見て、何とも言えない妙な違和感を覚えた。これらの、とりとめない数多くの変化が、緩やかに時の流れを表している。

在原業平の句は、意外にも素朴であるなと感じた。優雅で色どりに満ちた歌を数々世に送り出した歌人の最期にしては、なんとも率直な表現である。しかし、深い悲しみや後悔は滲んでおらず、穏やかでどこか呑気な印象すら受ける。死を直前にして驚きつつも、大げさな未練や無念なく静かに自分の運命を受け入れる彼の句は、まさに雅と言えるのかもしれない。

入学して以来、多くの先輩方の背中を見て学び、共に励み、そして快く送り出してきた。こんなに早くやってくるとは思っていなかったが、今度は自分の番である。けれども、驚くことはない。穏やかに受け入れれば、これまでやってきたことと変わらないはずである。最後の試合を終えた私は、どのような句が詠めるのであろうか。ぜひとも、艶美な句でありたい。

拙い文章となってしまいましたが、以上で本日のリレー日記とさせていただきます。ご精読ありがとうございました。

熟成期間

こんにちは。本日のリレー日記を担当させていただきます、法学部政治学科4年の釜屋有輝です。

晴れて4年生を迎えることができた今日此の頃ですが、いつもなら冒頭の自己紹介で必ずと言って良いほど前学年を誤って書いておりました。しかし、今回はこれでもかという強いタッチで「4年」と書かせていただきました。これが4年生としての自覚と責任とやらでしょうか。「最高学年だから」という言葉は好きではありませんが、少なくとも自分が背中で引っ張っていけるような存在でありたいと思います。

こうして学生生活もいよいよ最後の年を迎える中、将来のことを考える機会が圧倒的に多くなりました。人生軸で言うと「前」を見続けているわけです。しかし、時に「後ろ」を振り返って「懐かしさ」を感じる瞬間も非常に面白いものです。分かりやすいのは自分の携帯の写真フォルダーを極限までスクロールし、「こんな時もあった」「あんな時もあった」と見返すことでしょうか。それだけではありません。私は最近、中学生の時に大流行したスマホゲームにはまっているのですが、これもまた久しぶりにやると面白くて仕方ありません。負け続けてイライラした瞬間や友達と学校で先生に見つからないように通信対戦した瞬間など「懐かしさ」という言葉の中には色々な感情が織り交ぜられています。

こうして何かと時間を置いてみると新たな発見があるわけですが、体操においてもまさに同じことが言えると思います。「久しぶりにこの技をかけてみたら意外とできた」というのは体操選手なら誰しも経験したことがあるのではないでしょうか。あまり一つのことに固執しすぎず広い視野を持つことも重要であると思います。体の調子に左右されやすい競技特性上、こうしたマインドも大切にしつつ、時に時間を置くことで少しづつでも前に進んでいきたいものです。

拙い文章となってしまいましたが、以上で本日のリレー日記とさせていただきます。ご精読ありがとうございました。

0円カット

こんにちは。本日のリレー日記を担当させていただきます、看護医療学部4年の加藤万葉です。

急激に気温が上がり、春を飛び越えて夏の香りが漂ってきた今日この頃ですが、本日は冬あった素敵な出会いについてお話させていただこうと思います。

ある日、秋学期最後の実習記録を提出し終え、浮足立っていた私は、ふと今まで降り立たことのない駅に降り立ち、飲食店をぶらぶら散策することを思い立ちました。実習中は毎日時間に追われていたため、暇なときにしかできないようなことをやりたかっただけです。駅の決めかたのルールは単純で、今まで行ったことがない駅、おいしそうな飲食店がありそうな駅、なんかおしゃれな駅というこの3つの条件で決めました。

駅に降り立ち、初めての駅で道に迷いながら歩いていた時、後ろから声を掛けられました。
「お姉さん、髪の毛綺麗ですね。」
危ない人かと思いきや、振り返ったところにはきれいなブロンドヘアのお姉さんが立っていました。
結論から言えば、このお姉さんは美容師さんで練習のためのカットモデルを探していたそうです。親しくなった後に聞いた話によると、「お姉さん、髪の毛綺麗ですね。」というこのセリフはとりあえず声を掛ける人に怪しまれないために言っていたとのことで、喜んで損をしたなと思いつつ、お姉さんにはそのセリフは余計に怪しまれることをお伝えしておきました。

タイミングよくお金に困っていた私は、無料でカットをしてくれるということで迷わず飛びつきました。
練習は営業終了後に行うということで、美容室の営業が終了した夜遅い時間に美容室に向かいました。なんだかちょっとわくわくした気持ちで足を踏み入れたそこには、営業終了後にもかかわらず、たくさんの美容師さんが真剣な顔つきで練習されていました。そこに広がっていたのは私の知っている優雅な美容室とはかけ離れた、まるで全カレ直前の男子部員の雰囲気のような緊張感のある空間でした。
美容師さんの世界はとても厳しく、そのお姉さんは美容師になってから4年経っており、毎日夜遅くまで練習していらっしゃるそうですが、まだ営業中にカットはさせてもらえないそうです。何回もテストに合格しなければならないそうですが、テストのためのカットやカラーのモデルも自身で探さなければならず、駅前に立ってカットモデルを探されているそうです。私が声を掛けられた日も真冬で極寒の中、2時間ほど駅に立っていらっしゃいました。

このお姉さんからは、目標を達成するための強い覚悟をひしひしと感じました。私もこれから覚悟をもって様々なことに向き合っていきたいなと思わされた素敵な出会いでした。

拙い文章となってしまいましたが、以上で本日のリレー日記とさせていただきます。
ご精読ありがとうございました。

やるしかないね

こんにちは。本日のリレー日記を担当させていただきます、文学部4年の小澤智也です。

新年度になり、この出だし書きに「4年」という文字が入って、もう4年生か、と時間の流れを感じます。いよいよラストシーズンが始まるので、残り僅かな競技生活、学生生活共に1日1日を噛み締めながら全力で駆け抜けたいと思います。

みなさんは「モチベーション」という言葉にどんなイメージを持ちますか。昨今様々な場面で用いられる言葉ですが、「モチベーションが上がらない」などという使い方をするので、やる気や意欲のことを表していると考えるでしょう。ですが、私の観たとあるYouTubeの動画では、モチベーションを「元に戻ろうとする力」と表現していました。人は変わりたくない生き物で、自身を取り巻く状況が変化した時に元の状態に戻ろうとする人間の本性そのものだといいます。

すなわち、モチベーションが上がらないのは、変わりたくないから、ということになります。今が起点になっている場合、変わりたくない状態は今現在の自分であり、そこにモチベーションが働かないのは当然です。では、どうすればモチベーションをあげられるでしょうか。

それは、変わりたくない状態を、未来のなりたい自分を起点にすることです。少し混乱してしまうかもしれませんが、未来の自分のなりたい像こそが本来の自分であり、そうでない今の自分は気持ち悪い、変わりたい状態だ、と考えるのです。自分の目標、ゴールがはっきりすればするほど、それに対するモチベーションは強くなるそうです。だからこそ、目指すべきところをはっきりさせ、そこに至る道筋を立てることが重要なのです。

私に例えると、8月の全日本インカレで優勝することをゴールとし、そこに至るまでの各大会での目標設定、月目標、週単位、1日のやるべきこと、それぞれの解像度を上げることが、モチベーション向上につながります。私自身、心身がしんどいとつい、楽な方に流されそうになります。そういった時にやるべきことが定まっていれば、「でも今日はこれをやると決めてきているから、一旦無心でそれをやろう」というマインドに自然と切り替えることができ、調子の良し悪し関係なく練習を積み重ねることができます。要は「やるしかない」という状態に持っていくわけです。

全日本インカレまでは残り4ヶ月と少し。なりたい自分になるために、やり切りたいと思います。

拙い文章となってしまいましたが、以上で本日のリレー日記とさせていただきます。ご精読ありがとうございました。