最低の年明け

こんにちは。本日のリレー日記を担当させていただきます、文学部1年の黒沢瑛水です。2025年もどうぞよろしくお願いいたします。

新年早々、私にとって重大な事件が起こりました。同期吉田一真の体調不良です。一真のいない体育館は恐ろしいほど味気なく、私にとって最低の年明けでした。待ちに待って彼が復活した日、私はあからさまにテンションが上がっていました。一真の復活を待ち望んでたんだもんね、と笑いながら声をかけてきた齋藤が続けてこんな質問をしてきました。「そういうのって英語だとmissっていうけどさ、日本語だとなんて言うの?」

齋藤いわく、「寂しい」ではないらしいのです。たしかに、相手に対する気持ちがさらに強い言葉の方が合っているのかなと思います。結果的に「恋しい」という日本語に落ち着きました。しかし、中学校のとき、I will miss youで「寂しくなるよ」と習ったような気がするので、英語が苦手な私はなぜ「恋しい」を英語にした時に、齋藤の中ではmissになっているのか疑問に思いました。私の思うmissは「寂しい」だからです。なので私は、「恋しさ」を英語にしたらmiss以外の言葉になるだろうと思いました。ここまで考えて気づいたのですが、私は寂しさと恋しさの正確な区別を知りませんし、そもそも本当に違うものなのかも分かりません。それぞれの言葉が持つ正確な意味は知りませんが、自分のなんとなくの感覚で微妙なニュアンスを区別し、他人も同じように感じているだろうと思い込んでいました。言葉から感じ取る微かなニュアンスは、人によって異なるでしょう。「自分はなんとなくこんなニュアンスで使っている」という言葉を、他人も同じように使い、また受け取ってくれるとは限らないのです。当たり前のことかもしれませんが、私はこの謙虚さが足りていないなと感じました。

今回私は2つ、気を付けなければいけないことを見つけました。1つは、自分が当たり前だと思っている感覚に根拠を探すことです。言葉のニュアンス以外でも、なんとなく当たり前だと思っていることを疑い、根拠もなく他人に押し付けてしまわないようにしなければいけません。もう1つは、一真の体調管理です。体育館に一真がいないと私は‘恋しく’感じてしまうので、厳しく指導し、一真には今年1年体調に気をつけてもらいたいと思います。

拙い文章となってしまいましたが、以上で本日のリレー日記とさせていただきます。ご精読ありがとうございました。

根拠のない自信

こんにちは。本日のリレー日記を担当させていただきます。理工学部1年の伊藤利紀です。

早いもので、入部してから4ヶ月が経ち、今年度の授業も終盤に差し掛かってきましたが、入学したときには想像もしていなかったような、刺激的な日々を送らせていただいております。

初心者として器械体操という競技を始めた私は、まだまだわからないことやできないことが圧倒的に多く、先輩方や同期の皆と比べて大きな差を感じています。自分がいかに遅れをとっているのか実感するたびに、悔しさが込み上げてきて、それと同時に、「本当に今のままの練習量や取り組み方でみんなに追いつけるのだろうか」と不安になることもあります。倒立はいつまで経っても止まらないし、一度できるようになった技はまたできなくなるし、少し前の自分であれば、こうした状況に耐えきれず逃げ出してしまっていると思います。

そんな私を支えてくれているのが、ある友人からもらった「根拠のない自信」という言葉です。一見すると楽観的すぎる考え方にも思えますが、この言葉の本質は少し違います。「わからないけれどなんとなく上手くいく気がする!」というものではなく、「これをやったから上手くいくはずだと胸を張って言える根拠はないけれど、自分の可能性を信じて努力を重ねれば、それが実る未来があるかもしれない」という自分への期待に近いものです。新しいことに挑戦するとき、この言葉がいつも私に勇気をくれます。

もちろん、悔しいときや落ち込むときはあります。恥ずかしさで顔から火が出そうで、結局出ちゃったときだってあります。人間はそういう生き物だと、父が言っていました。そして再び立ち上がるのもまた人間という生き物だと、母が言っていました。兄は何も言っていませんでした。大事なのは、最後の瞬間まで、自分の可能性を信じることを諦めないことだと私は思います。

何事も、最初から根拠のある自信を持てる人などいません。だからこそ僕は「根拠のない自信」を大切にしつつ、自分らしく挑戦を続けていこうと思います。幸い、失敗しても大事なのは命ではないですし、鼻に詰めた失敗も笑い飛ばせるくらいの心の余裕は、少しずつ育てていくつもりです。

拙い文章ではありますが、以上で本日のリレー日記とさせていただきます。ご精読ありがとうございました。

感じる

こんにちは。本日のリレー日記を担当させていただきます。法学部法律学科2年の小林羽衣です。

わたしは、9月から現在に至るまで体調不良のため部活動をお休みし、療養生活を送っています。その中で、「感じる」とはどういうことなのか、深く考える機会かありましたので、本日はそのことについて話をさせていただこうと思います。

人は日々生活をする中でいろいろなことを感じています。そしてそれを他者と共有することもあるでしょう。風が冷たいな、とか足が痒いなとか様々です。ですがわたしはこの感じたものを表現する(他者と共有するために)ということに小さな違和感を抱きました。それは感じたものを言語化した時点で、その感じたものは感じたままのものではないということです。人の言語力には限界があります。そんな限界のあるもので「感じた」ものを完璧に表現するのは不可能に近いことなのではないでしょうか。もちろん、必ずしも完璧に表現することが必要だとは思いません。ですが、「ありのままに感じたことを表現してみましょう」などという表現になると、わたしの抱いた違和感はさらに大きくなります。わたしは表現せずに自分の中に留めておくことで初めて本当の意味での「感じる」ということが成立するのではないかと考えています。1人で目をつぶり心を静かにして五感が感じる全ての事柄に目を向ける、それこそが「感じる」ということなのではないかと思うのです。何を感じるかというのは、それまでの人生経験や生活をしてきた環境に大きく影響されると思います。しかし感じるべきものは既にたくさん存在し、そのうちどれだけのものを感じ取れるか、というところに個人差が発生するのだと考えます。

わたしは今まで、他の人よりいろいろなことを感じにくい性格、特性を持っていると思ってきました。ですが最近では、感じにくいのではなく、感じたものを表現することが苦手であったのではないかと思っています。日々の生活にゆとりを持ち、自然の音や景色に目を向けて生活をしていれば、「感じる」ということはより繊細に出来るようになるのではないかと思います。自然が生んだ空気をたくさん吸うことで、人は長けた五感を持ち、多くのことを感じ取れるようになるのではないかと思います。そして、より大きな言語力を持つことによって、人はそれを他人と共有し、形を持った「感じる」を作り上げることができるのではないでしょうか。わたしは、人と、何かが通じ合った時の、掠れあう音が確かに聞こえるような心地よさが好きです。目の前に広がる世界を優しさを持って素直に受け入れること、それこそがわたしの追い求める「感じる」ということの姿なのです。そしてその感じたものこそが、わたしたちの価値観の形成を促しているのではないか、と考えています。今後の学校生活や部活動での会話で、この「感じる」ということを大切にしていきたいと思っています。

拙い文章となってしまいましたが、これで本日のリレー日記を終了させていただきます。最後までご精読いただきありがとうございました。一日でも早く部活動に復帰できるよう療養に専念していこうと思っておりますので、今後とも応援のほど、よろしくお願いいたします。

祝福

本日のリレー日記を担当させていただきます、法学部政治学科 2 年の金子慶汰です。早いもので 2024 年が過ぎ去り、2025 年が凍えるような寒さの中、幕を開けました。皆様いかがお過ごしでしょうか。私は実家でぬくぬくと過ごしながらこのリレー日記を執筆しております。

今回のリレー日記では、12 月 12 日に招待された塾長招待会について書かせていただこうと思います。昨年の夏、東日本選手権のシンクロ部門で 2 連覇を果たし、今年もご招待いただきました。私はそこで1つの言葉と出会いました。
「祝福される勝者」
この言葉は単に勝者であることだけではなく、様々な人から応援される勝者であることが重要であるという意味を持っています。私はこの言葉を聞いた時、すぐに昨年の体操部が頭に浮かびました。器械は東グループ優勝、全日本インカレ準優勝、トランポリンは東日本シンクロ優勝、全日本団体出場などといった様々な結果を残すことができました。それらの大会には、本当に沢山の人の応援がいつもありました。さまざまな場所でさまざまな期間に行われる大会に、たくさんの先輩方や保護者の方々が足を運んでくださりご観戦、そして応援いただきました。先述したような結果は我々選手だけでは成し遂げられなかったでしょう。応援の力を力に、そして緊張に変え、得ることができた結果だと思います。
コロナ禍で失われてしまった縦のつながりを「REBUILD」し、活気ある体操部を取り戻した 4 年生、そして我々、選手を信じて応援してくださる OBOG の方々に感謝の気持ちを忘れずにこれからの 2 年間この体操部に携わっていきたい、そう考えております。残り 2 年間というリミットをひしひしと感じながらもその短い期間の中で何を成し遂げられるか、何を得ることができるか、そして周りの方々に何を与えることができるかを考え行動していきます。

本年も引き続きご指導ご鞭撻の程、よろしくお願いいたします。
拙い文章となってしまいましたが以上で本日のリレー日記とさせていただきます。ご精読ありがとうございました。

嫌いだった

 あけましておめでとうございます。本日のリレー日記を担当させていただきます、総合政策学部2年の小田切伊織です。

団体戦が嫌いだった。

 鹿児島でのある朝、エナジードリンク片手にぼやいていた。たしか朝9時集合とそこまで早い時間ではないのに、目覚めは良くない。緊張なのか、不安なのか、それとも楽しさなのか。どう説明したらいいのかわからない感情に振り回されてよく眠れなかったのだろう。
 その日は午後に、大一番が控えているのにも関わらず、ずっと変な感覚が襲い掛かっていた。大学入学前の足の捻挫。昨年度の長野インカレや今年の早慶戦での苦い思い出。また同じことを繰り返してしまうのではないかという不安。今回こそ結果出さないと後がないという重圧。泣きたくなるのを必死に我慢し、あくまで冷静でいようと言い聞かせ演技に臨んでいた。
結果は団体380点、個人77点。かなり良かったものといえるでしょう。しかし団体は0.036で1部昇格を逃し、種目別鉄棒では0.033で優勝を逃しました。(個人的には鉄棒の優勝を逃したことが何よりも悔しかったです)それなのに「悔しいという感情」以上に「別の感情」がいくつもあふれ、気づいたらチームで肩を組み泣いていました。

 今更ながら全日本インカレの記憶を書き留めているわけですが、冒頭の通り私は団体戦が嫌い「だった」のです。6月のリレー日記で豪語しておいて何を言っているんだと思われるかもしれません。私の体操を振り返ると個人での出場が圧倒的に多かったのです。中学での全中大会や高校での選抜やインターハイ。気づけば1人で出場する試合が多かったように感じています。個人戦は大過失が出ても自分の中で完結させることができます。しかし、団体戦ではそれがチームの勝敗に関わってしまう。自分のミスが他のメンバーに影響を及ぼすというものがあり、好きになれなかったのです。
 ではなぜ、前々回のリレー日記であのようなことを書き、チームのためにインカレで演技ができたのか。そこには団体戦の本質に気づけたというものが挙げられます。長野インカレでの惨敗からすぐ1年後の姿を思い描いていました。細かすぎる分析と綿密な練習計画により、どこまで到達できれば優勝圏内になるのか明瞭だったのです。それに対し1人で頑張ろうとしていたところに、一緒に練習してくれるチームメイトがいました。特に4年生は同期に同じコミュニティの選手がいない自分に積極的に話しかけてくださり、頑張る環境を作ってくれました。頼ってばかりの自分ですが、少しは結果で恩返しができたのではないでしょうか。
 先日の納会で正式に代交代をし、4年生が引退され新体制のチームが発足しつつあります。まだ早いですが、少ししたら自分が4年生と同じ立場になります。まだまだ心配ですが、その際には4年生からいただいた「団体戦の楽しさ」というものを自分なりに後輩に伝えていけたら、と思います。
まずは今年1年結果にコミットし、もう一つ上のステージで戦える選手になれるよう精進してまいります。応援のほど、よろしくお願いいたします。

拙い文章ですがこれで今回のリレー日記とさせていただきます。ご精読ありがとうございました

命の洗濯

こんにちは、本日のリレー日記を担当させていただきます、商学部2年の大脇美怜です。

年末年始の長期オフに入り、このリレー日記を静岡の実家で綴っております。1週間という短い間ですが、普段会えない人達との時間を大切に過ごしたいと思います。

さて今回は、「風呂は命の洗濯」という言葉を紹介させていただきます(一般的には「鬼の居ぬ間に」ですよね)。これは以前から私が好きなアニメである新世紀エヴァンゲリオンの葛城ミサトが主人公のシンジに言った、「風呂は命の洗濯よ」の台詞からきています。登場人物それぞれが過酷な運命を背負わされている物語の割には意外な台詞と思われるかと思います。

「命の洗濯」という言葉自体には平生の苦労から解放されて、寿命がのびるほど思う存分に楽しむことという意味があります。それを風呂に当てはめるのは些か大げさに感じるかもしれませんが、ここ1年ほど自分にとってこの台詞が、折に触れ身に染みるのです。

というのも、今年から武蔵小杉でひとり暮らしを始め、ユニットバスになったことが挙げられます。ユニットバスは狭く、以前までは毎日お風呂に入っていたのにも関わらず嫌になってしまいシャワーで済ませるようになりました。たまたま夏頃、友人が泊まりに来た時に家の近くに銭湯を見つけてからは週に1回ほど行くようになりました。銭湯のお風呂は当然ながら広く、色々なお風呂の種類があり毎回行くのが楽しみです。そしてその時間は自分にとって1番物事を振り返り、1日の大変だったことを忘れられる大切な時間となっています。銭湯から帰ると悩んでいたことが案外小さなことだったり、疲れが全くなくなっていることに驚きます。1日の終わりの、誰からも干渉を受けない時間だからでしょうか。エヴァンゲリオンの主人公とは置かれている状況があまりにもかけ離れているのですが、「風呂は命の洗濯」とはまさにこのことだと感じるのです。上記の様に、今年の私にとってお風呂の時間が命の洗濯となりましたが、人それぞれ異なることと思います。ぜひ一度それが何かを考えて、その瞬間を大切にしてみるのはいかがでしょうか。

拙い文章となってしまいましたが、以上で本日のリレー日記を終了させていただきます。ご精読ありがとうございました。

ビジョン

こんにちは。本日のリレー日記を担当させていただきます、経済学部2年の内田祥子です。

今年も残すところあと数日となりました。光陰矢の如しというように月日が経つのは早いものだと感じています。人生は限りがあるもの、そのほんの一部である大学生時代は本当にあっという間であり、考えたくはないですが、いつ終わりが来るかわからないので、後悔のないよう、満足できるよう過ごしたいと思っております。

話は変わりますが、先日納会がありました。お越しいただいた皆様誠にありがとうございました。納会では、今年の振り返りとともに来年のビジョン発表が行われました。今回のリレー日記ではビジョンに関連して、私が今考える自分自身の今後の見通しや志すものについて一部綴らせていただきます。

数名の方には伝えておりますが、私は大学を卒業後、国家総合職という区分の外務省に勤めたいと考えております。

私が外務省に入ることを志したのは今までの人生で2度あります。1度目は小学6年生の時です。将来のことを漠然と考え、公務員になるのがいいな、でも市や県よりも大きなところで働きたいなと思っていたときでした。偶然、外務省職員の方とお話する機会があり、その時に君たちはまだ若いから何にでもなれる、興味関心ことに目標を置いてみるといいと言われました。当時の私は外交や外国の文化等にそこまで興味はありませんでしたが、外務省職員の方のお話にはとても興味を惹かれ、目指してみるのもいいのかもしれないと思いました。その後、中高生時代、様々な挫折をしたり、将来に関しての価値観が変わったり、興味関心が他の分野へ移ったりで1度外務省に入るという夢を見失ってしまいました。

2度目に志したのは、大学1年生の夏頃です。ようやく学校生活に慣れてきた頃、就職活動で忙しい4年生を見て、自分も2年後、同じような状況になるのかなと思いました。そのときの自分はどこの企業へインターンや面接に行っているのかと想像してみましたが、なかなかいいイメージができず、モヤモヤとした感じがしました。そのとき、自分は本当は何になりたいのか自問自答すると外務省かなという結論に至りました。以前志しつつも途中で諦めてしまったことが心残りでもあり、本当にやりたいことでもありました。細かな理由を述べると長くなってしまうのでここでは割愛させていただきます。

就職活動も部活も来年は今年までとは比にならないほど厳しく、大変で密度の濃いものになると予感しています。いずれにせよ、どんな状況でも、本当にやりたいことを見失わず、なぜこれをやるのか、何のための目標なのかという問いに対して、自分の中に明確な答えを持っておくことが大切だと考えております。

今後、沢山ミスや失敗をしてご迷惑をおかけするかと思いますが、そのたびに成長して参りますので、どうか応援のほどよろしくお願いいたします。

拙い文章となってしまいましたが、以上で本日のリレー日記を終了させていただきます。ご精読ありがとうございました。

多様性の交差点、池袋発:豊島岡での青春模様

こんにちは、本日のリレー日記を担当させていただきます、商学部2年の五十嵐美文です。

今回のリレー日記では、私の中学・高校の頃について書かせていただきます。私は中学受験を経て、豊島岡女子学園中学校に入学いたしました。皆様の中には女子校と聞くと、「ごきげんよう」という挨拶を筆頭におしとやかなイメージを抱く方もいらっしゃると思います。しかし、私の母校はそのようなイメージとは異なり、がしがしとことを進めていく生徒が多くいました。学校がSSH(スーパーサイセンスハイスクール)に属していたため、化学・物理・生物の実験を自ら進める活動をする恵まれた環境でありました(理科系の科目が苦手な私は友達に手伝ってもらうことがしばしばありましたが)。ここまでの内容では、真面目な雰囲気で堅い印象を感じてしまうかもしれませんが、個々の生徒には多様性が満ちておりました。私の母校は池袋駅が最寄りであり、当駅には非常に規模の大きなアニメイト(アニメ・ゲームのキャラクターなどを取り扱うお店)がありました。その影響もあるのでしょうか、二次元の話になると衝撃的な知識量で話す子がいました。また、男性の先生を推しにする子、食堂にある全メニューを制覇している子、先生のものまねがプロのように上手な子などもおりました。どのような趣味を保持していても、全員がそれを頭ごなしに否定せず、むしろ受け入れる環境は実は希少だったなと今になって感じております。また、傍から見みると、教室内の授業時間と休み時間のにぎやかさが大きく異なっている、奇妙な環境であったのかもしれません。しかし、私はこのいびつさに居心地の良さを感じておりました。多様性を謳う現代社会において、豊島岡女子学園は素晴らしい環境でした。大学生は高校生に比べそれぞれが多方面で活躍しているため、中学・高校時代に培った、各個人を尊重する姿勢を忘れずにいきたいと存じます。

拙い文章ではありますが、以上で本日のリレー日記とさせていただきます。ご精読ありがとうございました。