断捨離

こんにちは。本日のリレー日記を担当させていただきます看護医療学部2年の加藤万葉です。

3月に入り、春休みも残り半分となりました。私は3年生からキャンパスが変わり、信濃町キャンパスになります。熊本から出てきた田舎娘がついに新宿という大都会に進出します。期待と同時に新宿で迷子にならないか不安を抱えている今日この頃です。

先日、友人と断捨離大会を行いました。断捨離大会とは、断捨離できた量を競うという不毛な争いです。私は買い物が好きなのに加え、ガチャガチャを見つけたらついつい回してしまうような性格なので、どんどん物が増えていってしまいます。新年度が始まる前に部屋を整理し、スッキリとした気持ちで4月を迎えようと友人とこの大会を企画しました。部屋の隅々から服などあらゆるものを取り出し、1日かけて一つ一つの所持品と向き合いました。その結果、捨てられたものは衣服3枚だけ。惨敗でした。
普段あまり来ていない服や物でも「いつか使うかもしれない」「もったいない」と思って私はなかなか捨てられません。私はとても決断力に欠ける人間なのです。

決断力が欠けているがために最近困った経験をしました。
双方が全く異なる意見を言ってきて、どちらの意見も一理あると感じた場合、皆さんはどのように対応しますか。私はどちらの意見を優先すべきか決められず、故に解決策も見つけられず、自分自身がショートしてしまいました。おそらく答えは単純な話で、自分が共感する意見を優先したり、どちらの意見も最大限に尊重した上で、妥協点を見つけたりすればいいだけだと思うのですが、言葉通りにうまくはいかないものです。

「断捨離」とは、単に物を捨てることではなく、「本当に必要なもの」を見つめ直すことだそうです。私も「本当に必要なもの」を見極め、決断する力を身に付けていきたいと思います。

拙い文章となってしまいましたが、以上で本日のリレー日記とさせていただきます。ご精読ありがとうございました。

カレー

こんにちは。本日のリレー日記を担当させていただきます、文学部2年の小澤智也です。

最近の気候は三寒四温という言葉の通り、寒暖差の激しい日々が続いております。同時にここ数日は花粉が飛散しており、花粉症の方々にとっては悩ましい季節となっています。体調管理の難しい時期ではありますが、春の訪れを楽しんで過ごしていきましょう。

春の訪れ、それは即ちシーズンの始まりを意味します。器械体操部でも男子の方では4月のグループ選手権に向けての選考会を行っており、メンバー選考の場であると同時に、冬季のトレーニングの成果を照らし合わせて新たな課題を発見する絶好の機会となっています。今週末に第2回の選考会が開催されますので、OBOG皆様方もぜひ体育館に足を運んでいただき、部員の姿をご覧いただけたら幸いです。

選考会の話が出たところで、今回は私のチェックや試合の前欠かさず行っているあるルーティーンについて話していきたいと思います。それは、前日の夕食にカレーを食べることです。このルーティーンは大学入学以来ずっと続けており、試合の際にはホテルの近くのカレー屋さんを事前にチェックしておくほど、私の中では大事なものです。

なぜカレーなのかといいますと、単純に自分の1番の好物だからです。試合前の緊張している時でも好きなものを食べることで幸せな気分になり、頑張ろうというモチベーションになります。試合当日も昨日カレーを食べたから大丈夫、という安心感を得るある種の験担ぎのようなものです。側から見ればなんだそれ、と言われてしまいそうですが、くだらないことでも本番のパフォーマンスに自分の実力を反映するためには努力を惜しんではならないと考えています。みなさんも自分なりの験担ぎを見つけてみてはいかがでしょうか。

拙い文章となってしまいましたが、以上で本日のリレー日記とさせていただきます。ご精読ありがとうございました。

再開

こんにちは。本日のリレー日記を担当させていただきます、商学部2年の稲垣香花です。

ここ数日は急な気温の変化が見受けられましたが、皆さまいかがお過ごしでしょうか。寒暖差に注意しながら体調管理をしていきたいと思います。

さて、私事ではございますが、10月から一旦お休みしていたバイトを今月から再開しました。久しぶりにシフトに入ると、想像していたよりも緊張せず、無事にその日を終えることができました。久しぶりに多くの人たちと接した感想として、お客さんの笑顔やお礼を直接受け取れるのが嬉しく感じました。その反面、何か大きなミスをしてしまわないかとヒヤヒヤすることも多々あります。しかし、気温が低いということもあって、夏の繁忙期と比べてのんびりとした営業になっていたことが唯一の救いでした。慣れてからは忙しくて、若干しんどいと思っていましたが、やりがいのある仕事だと改めて実感しました。

器械体操において、もちろん毎日継続して練習することも大事ですが、久しぶりに技をかける事で新たな気付きを得ることもあります。これから始まるシーズンに向けて、コツコツ努力を積み重ねつつ、時には遊び心を取り入れて多くの物事に触れながら練習に励んでまいりたいと思います。

拙い文章となってしまいましたが、以上で本日のリレー日記とさせていただきます。ご精読ありがとうございました。

 

〜Do my best〜じゃ意味はない

こんにちは。本日のリレー日記を担当させていただきます、薬学部薬科学科3年の西尾颯馬です。

一昨日、今年1回目の試技会が行われました。2月という時期にしては、チーム全体として良い演技が多かったのではないかと思います。また、私個人としても練習の成果が出せたと思います。演技の幹となる部分が安定してきたことが確認でき、枝葉をつけていくための自信が付きました。そういった意味で良い機会だったわけですが、同時に焦りも覚えました。

大会までの期間の短さ、得点の低さといったものに由来する焦燥感ももちろんあります。しかし、幼少期に憧れた大きい人たちのようになれているのかという不安の要素が大きいです。
地元の国体予選大会では、大学生や社会人が魅力ある演技を披露して会場を沸き立たせていました。自分の演技が控えていても、ウォーミングアップをそっちのけにして見入っていたのは良い思い出です。地元では大学受験をして体操をやり続ける人が少ない中、続けているのは憧れが原動力になっていることは間違いありません。
気付けば自分も観られる側の年齢になっていました。難しい技、綺麗な演技の実施に努めるのは前提です。頑張って偉かった、踏ん張って良くやった、そんな慰めで終わらない何か魅せられる演技をしたいなと思います。

拙い文章となりましたが、以上で本日のリレー日記とさせていただきます。ご精読ありがとうございました。

応援

こんにちは。本日のリレー日記を担当させていただきます、商学部3年の永野祐里です。本日は2月14日ですね。2月14日といえばバレンタインデー、というイメージが一般的には強いかもしれないですが、慶應義塾大学は入学試験期間中です。3年前の2月14日には私も商学部の入学試験を受験しました。前日の夜に地震が来て目が覚めてしまったり、英語が全然できずパニックになったり、と結果合格をいただけたからよかったものの、今思えば散々な受験でした。今回はそんな波瀾万丈だった受験期に感じたことについてお話しさせて頂きます。

波瀾万丈だったとはいえ、私にとって大学受験期は常に苦しかったわけではありませんでした。楽しみにしていた体育大会はコロナで無くなりましたが、学校で友達とくだらない話をしたり、体育の授業で遊びまくったりと、楽しいことも割とありました。とはいえ、流石に直前期は模試の点数がなかなか目標点に届かないこともあって、精神的に厳しい状況に追い込まれました。
そんな状況のとある日、自習中にお腹が空いたので、塾の近くのラーメン屋に行きました。そこで、食事中に少しでも知識を詰め込もうと思い、参考書を読みながらラーメンを食べました。食べ終わり、会計しようと思い伝票を手に立ち上がると、伝票の裏側に何か書いてあることに気づきました。間違えたのかな、と思って裏返してみると、「Fight!」という文字が目に飛び込んできました。初めて会った高校生に、わざわざ応援のメッセージを書いてくれるラーメン屋の店員さんの心優しさに触れ、会計をしながら泣きそうになりました。
その出来事の数日後にも、素敵な出来事がありました。その日は朝から近所のカフェで勉強をしていました。すると、モーニングを食べに来ていた知らないおばあさんが、「よ〜頑張ってんなぁ。その調子で頑張りや!」と言って背中を叩いてくれました。その行動に心を打たれたのを今でも覚えています。この2つの出来事が、最後の最後で心が折れそうになっていた私を勇気づけてくれました。

世間的には、結果が出ないと努力が認められないことが多いかもしれません。ですが、結果を出すまでの努力を見てくれている人は必ずいます。しかも意外なところにいたりします。私は努力して辛くなった時こそ、こうして応援してくれる人・頑張りを見てくれている人は必ずいると思って、努力を継続出来るよう頑張っていきたいと思います。

今、試験会場で頑張っている受験生に少しでも誰かの応援が届くことを心から祈っています。拙い文章となりましたがこれで本日のリレー日記とさせていただきます。ご精読ありがとうございました。

人間性

こんにちは。本日のリレー日記を担当させていただきます、商学部3年の佐伯雅斗です。

最近は寒暖差が激しく、体調を崩しやすくなっておりますが、皆様いかがお過ごしでしょうか。

先日とある企業のグループディスカッションに参加した際に「その業界の営業職に求められる要素を3つ考えなさい」というお題が出されました。全体を把握する能力や責任感など様々な要素が候補に挙がりましたが、その中でも私が1番大切だなと感じたのは「人間性」です。一言に人間性と言っても様々で、顧客の要望を正確に聞き出す力や、信頼し任せてもらえる力、自ら事業の提案をする力などが含まれていると思います。いくら素晴らしい事業プランでも信頼がなければ実現は難しいと考えますし、日々の生活においても部活においても大切な事だと考えます。最上級生として、主務として1年間務めていく中で、交渉ごとや新しい挑戦があると思いますが、人間性を大切にして精進してまいりたいと思います。

拙い文章となりましたが、以上で本日のリレー日記とさせていただきます。ご精読ありがとうございました。

アンチノミー

 こんにちは。本日のリレー日記を担当させていただきます、商学部3年の浦口優です。

 先日、東京都心で初雪が降りましたね。関東では珍しく積もるほどの雪でした。私は、子供の頃は無邪気に雪が積もったら嬉しいとばかり考えていましたが、今はそうではないのがなんだか不思議です。交通機関に影響は出るし、ただ歩くにも足を取られて転ばないように慎重にならなければいけない。子供の頃は転ぶことなどに恥ずかしさも抵抗も微塵もなかったのに、今は必死になって転ぶことを避けようとしている。やはり大人になるって不思議ですね。

 さて、我々学生は先日期末テストを終えました。その中で、人類史から見る現代人の特性について学ぶ機会があり、個人的に面白かったので今回はそれについて話していこうかと思います。
前回の上田のリレー日記でも出てきたように、我々人類は適者生存の生き残りであるホモ・サピエンスの末裔です。そのため、ホモ・サピエンスが生き残りをかけて会得してきた特性を現代人である我々も継承していることとなります。それこそその中に、虚構認識などがあるわけですね。
 他には、内臓脂肪による飢餓耐性などがあるようです。美味しいものをたくさん食べたいのに太ってしまう。この煩わしさの背景には生存競争を生き抜いたことがあるわけですね。
 他にも、情報収集への嗜好性というのもあります。これは生き残るために、どこで猛獣が出たとか、どこで食料が採れるとかの情報を集めることに喜びを感じるというものです。これも祖先たちが生き残るためには必要不可欠だったわけですが、なんと現代人のスマホ依存へと繋がっています。日々我々が意味もなくスマホをいじり続けてしまうのにもこういった背景があるようです。なんとも煩わしいですね。
 そしてこれは個人的に一番興味深かったものですが、我々はストレス反応も継承しているようです。我々は緊張した時や不安な時、怒りを感じた時などに脈拍が上昇します。さらにいうと、そういった時は頭が真っ白になったり、意に反した言動をしてしまうことがありますよね。これも、先祖たちが生き残るために会得した機能というわけです。人は興奮したりすると、アドレナリン・ノルアドレナリンが分泌されます。これにより、脈拍増加による身体機能の向上や痛覚神経機能の低下が引き起こされます。加えて、大量のドーパミンやノルアドレナリンが分泌されることで、脳の神経細胞間回路が切断され、脳機能が低下します。祖先たちは猛獣と相対した時に、猛獣側にも家族がいることなど余計なことを考えださないように愛情などの感情をシャットアウトするように進化したようです。この機能によって、私たちは大事に築いてきた人間関係を一瞬で更地にしてしまうのだから、堪ったものじゃないですよね。競技をしている自分からしても、恐怖と相対した時に、急に慎重に組み立てた仮説などが吹っ飛ぶわけですから、非常に許しがたいところではあります。
 人は何かに適応しようとすると、何か別の物を犠牲にしなければならない。トレードオフの原則が根付いている世の中は非情なものですね。自分がこれまでどんな物を犠牲にしてきたかと考え出すと恐ろしい限りです。

 拙い文章となりましたが、以上で本日のリレー日記とさせていただきます。ご精読ありがとうございました。

「虚構」の価値の低迷とモチベーションの低下について

 こんにちは、本日のリレー日記を担当させていただきます、環境情報学部3年の上田乃維です。

 三寒四温の季節となり、日頃の服装選びには悩まされるようになりました。朝夕と冷え込む日々が続いておりますが、皆様におかれましては、いかがお過ごしでしょうか。5月の大会まで少し期間が空きますが、3月には多くの合宿が予定されており、忙しくも楽しそうな年度納めが控えています。最後の1年となりますので、後悔のないよう、日々全力で打ち込んでいきたいと思います。

 さて、本日のテーマは、「虚構」の価値の低迷とモチベーションの低下について、です。Wikipediaによると、「虚構」とは、事実でないことを事実のように作り上げること。つくりごと。とあるように、実物として存在しないものや、作り話などが当てはまるでしょう。宗教や神の存在も、ある種の虚構と言えるでしょう。

 虚構の存在は、人類史の中でも人類に多大な影響を与えたもののひとつであると言えます。約7万年前から3万年前にかけて起こった、「認知革命」と言われる、言語能力や意思伝達能力の発達がホモ・サピエンスに見られました。その認知革命において、虚構の存在を信仰することで、各々が主体的に所属するグループを選択し、共通認識をもとに、個の力からグループの力を操れるようになり、タイマンでは絶対にライオンに勝てないような人類が、厳しい自然界の生存競争を勝ち抜いてきたのでしょう。

 虚構の存在という共通認識で1番わかりやすいのは、宗教による結束だと思います。社会の複雑性が増すにつれ、社会の安定を維持するためには宗教が大きな役割を果たしたと考えられます。神の代理人である聖職者が、トップダウンの政治的支配を通じて社会の安定を確立し、政治的・軍事的・社会的な指導者が協力してこの役割を達成した時、教義は伝統的で揺るぎないものとなったと、歴史を学ぶ上で考えらます。宗教は社会の安定性と統一性をもたらし、政治革命が起こると宗教指導者は柔軟に状況に適応し、新しい体制に対応するために教義を調整されてきました。

 現代の組織を見ても、異なるグループが競合する中で、それぞれのメンバー同士が協力し、内部での意思疎通や結束を発展させることが、生存と繁栄において有利であると、進化の過程で選ばれた特性だと考えられます。競合するグループの行動を予測しつつ、仲間内での協力ができるグループは、その能力が低いグループよりも遙かに有利だったと予想できます。これが複雑な文化を生み出す原動力となり、個々のメンバーが協力して共通の目標を達成する力が進化していったのだと思います。

 これまでは、宗教を信仰する上で根本となる、神やその代理人である聖職者は全知全能であり、神の言葉とされた聖書などに、行動規範や人の生き方の理想像が決められており、それを前提とした人間の行動が確立されていました。西洋の騎士道や日本の武士道なども、そこに当てはまるもので、容易に想像できるものでしょう。

 しかし近年、こういった虚構の存在を信仰し、結束する力、個々のメンバーが協力して共通の目標を達成する力が減衰してきているように感じます。ここには、本来人類の生活を豊かにするはずの科学の進歩が、神の言葉によって決められた行動規範を、一部否定できるようになってしまい、虚構への信仰度合いが減ってしまったと考えられます。

 例えば、イスラム教の義務の一つに、ラマダンと呼ばれる、1ヶ月間、日が出ている時間の飲食を禁止するものがあります。飲食だけでなく、悪口、嘘、揉め事、欲望、性行為も断ち、ラマダン期間中は、普段以上に良い振る舞いをすることが推奨されています。このラマダンの目的は神様に近づき、自信の信仰心を清めることのようです。1ヶ月間の断食はとても苦しいものであると予想できますし、自分にできるかどうかもわかりません。ただ、イスラム教徒のこの活動を見ていると、宗教の信仰がこれほどの活動の原動力につながっていると考えられるでしょう。この、宗教の信仰によって得られる、活動への原動力、モチベーションが重要なポイントです。

 しかし、これらの活動の中で、近年の栄養に関する研究などから、健康に害を及ぼすような危険な行為であるという警鐘を鳴らす学者も多く、このような信仰のあり方には、懐疑的な目を向ける人も増えてきました。ラマダンに関しては、現在もイスラム教の活動の一つとして、風習が残っているものですが、昔の日本の小さな村で人柱を立てたり、神様への生贄として人を殺したりする文化もあり、それらがなくなってきているという事実からも、虚構への信仰度が減り、神の言葉によって決められた行動規範に対して、疑問視をする人が増えてきた証拠であると言えるでしょう。決まっている行動、しきたりだからというのが理由にならず、なぜそうするのかを科学的に解明したり、理由を求めたりして、ある種の正しさ、合理性を獲得しようとする傾向にあるのだと考えました。

 ダラダラと人類史について書いてしまいました。少し難しい内容であると思いますので、一旦簡単にまとめさせていただきます。

人類は個の状態では生存競争に勝てなかった。

認知革命により、虚構の存在を信仰することで個の力がグループの力になった。

虚構の信仰によって得られる原動力により、自然界の支配者にまで上り詰めた。

現在、過度な合理性の探求により、虚構への信仰度が減衰しているのではないか。

といった論理展開です。伝わっているでしょうか。

 さて、では改めまして本日のテーマである、「虚構」の価値の低迷とモチベーションの低下について、ですが、少し全体像が見えてきたのではないでしょうか。ここまでは人類史という、大変規模の多きな、想像の範疇を超えた話でしたので、あまりイメージがつきにくかったかもしれません。

 では、これらの考えを慶應義塾体育会器械体操部に落とし込んで考えてみましょう。

 まず、なぜ虚構について、はたまたこのような人類史について考えるに至ったのかという経緯からお伝えいたします。最近、体操部に限った話でもないですが、「時代が違うから」といった言葉や「Z世代」なんていう言葉も生まれくるほど、昔と今は違うんだ。という意見をよく耳にします。しかし私は、「時代が違うから」という一言でさまざまな課題を片付けてしまうのも、少し逃げに近いような感覚があり、いまいち腑に落ちませんでした。そこで、時代が違うと何が違うのかを考えてみました。基準です。基準が違うのだと考えました。しかし、少し似た意味を持つ言葉でもあり、まだイメージしにくいので、具体的に何の基準が違うのだろうと考えました。そこで、今日のテーマである、「虚構」の存在価値と信仰度合いに落ち着きました。

 人類史という大枠で、虚構への信仰度合いが減衰しているのではないか。と述べましたが、体操部に落とし込んで考えると、体操部にとっての虚構の存在は神や仏ではなく、「体育会生の理想像とは」という存在であると考えます。体育会だから、という信念が原動力、モチベーションとなり、何か大きな成果、活動を成し遂げられた先輩も多いと思います。これを読んでくださっている先輩の中にも、体育会生ということを誇りに持って何かを頑張った経験や、苦しみながらも何かを成し遂げた経験がある人も多いと思います。

 これを、先ほどの人類史の話では、科学の発展によってさまざまな事象に対し、必ず理由と合理性があり、虚構など存在しないものであるという考えが、共通認識である虚構への信仰度を減衰させ、原動力、モチベーションの低下につながっていると述べました。体育会では、体育会生だからという理由で行っていた、多少理不尽な行為や合理的ではない行為に対し懐疑的な目を持ち、科学的に正しい、データに裏付けされた行為を好むようになっているのが、いわゆる「最近の学生」なのではないかと考えました。この、共通認識であり、共通の理想像であった「虚構」の存在価値の低迷が、各世代での基準の違いとなり、時代が違うという言葉になり変わっているのではないかと考えました。

 今日のリレー日記での主張としては、「虚構」の価値が低迷して、モチベーションの低下につながってしまっているのではないか、という問題提起でしたが、この問題に対しての解決策については、今のところ考えついていません。加えて、今回は問題提起として提示しましたが、さまざまな事象に対して頭を捻り、理屈を考え、自分が正しいと思うものを信じて行動するということは、いいことでもあると思います。今後の体育会のあり方、より大きなスコープでは、今後の人類の辿る道は、どのようなものになるのでしょうか。残された1年間で、さまざまなことを経験し、より考えを深められたら、と思っております。

 自分の中でも考えがまとまりきっていない内容でしたので、考えていることが正確に伝わっているかはわかりませんが、これだけの長い文章をご精読いただきまして、本当にありがとうございました。

 自分の競技人生も終盤となり、目標地点と自分の現在地のギャップや、残された時間の少なさ、想定通りにいかない計画など、さまざまな不安要素に襲われるような日々に、研究や就職活動も相まって、苦しくも充実した日々が送れているように思います。残り少ない期間となりますが、応援の程、何卒よろしくお願いいたします。