ついに、バレてしまった

こんにちは。本日のリレー日記を担当させていただきます、法学部法律学科2年の立花陽空です。

今年も早いもので、6月に差し掛かろうとしています。6月といったらさくらんぼが旬ですよね。チェリー味はあまり好きではないですが、果物のさくらんぼは大好物です。もし、この日記を見てくださっている方々の中にさくらんぼ好きの方がいらっしゃいましたらぜひ、私と一緒にさくらんぼ狩りへ行きましょう。

さて、話は変わりますが、ここで皆さんに質問があります。

Aさんは、Bさんに対して、「小学校に入れば時計をあげるよ」と約束し(事例1)、AさんはCさんに対して「大学に入れば時計をあげるよ」と約束した(事例2)とします。この場合、事例1と事例2は条件でしょうか、それとも期限でしょうか。

上記の答えは、事例1は期限で、事例2は条件です。条件とは、契約などの法律行為の効力発生を、将来の未確定な事実の成否に関わらせる、この未確定の事実のことを指します。これに対して、期限とは、契約などの法律行為の効力発生を、将来必ず到来する事実の成否に関わらせる、この事実のことを指します。AB間の贈与契約(事例1)は、小学校の入学という事実に成否を関わらせていますが、小学校入学は義務教育の下、必ず到達する事実と言えるので、これは期限となります。一方、AC間の贈与契約(事例2)は、大学の入学というという成否に事実を関わらせていますが、大学入学はその事実が必ず発生するものではなく、従ってこれは将来の未確定な事実であって条件となります。みなさん、当たりましたでしょうか。

いつもは、映画の評論や、自分のルーティーンを書いたりしていますが、訳あってこの質問をこのリレー日記の場を借りて書かせていただきました。この質問は先週、私が大好きな民法の先生の授業で出題された問題です。民法の先生は授業中、よくランダムで生徒1人に向かって質問をします。私はその日、まさかこんな大勢いる教室で当たるわけないだろ、と思っていました。しかし、こんな日に限って私は、いつもより少し前列に座り、同期の黒沢くんにもらったバケットハットを被っていました。私が何を言いたいか、もう皆さんお分かりになりましたよね・・・。「じゃあこの質問は、そこのバケットハットを被っている子に答えてもらおう」と先生に当てられてしまいました。先生もこの格好、当てやすかったんでしょうね。この質問をされたということは、言わば間違えたら百人以上いる教室で公開処刑という状況でした。自信満々に私は、「事例1と事例2はどちらも期限付きの約束です。」と答えました。私が答えを言った途端、周りはざわつき始め、その時、私は不正解を確信しました。塾校出身、体操部の立花陽空は馬鹿だということが、法学部法律学科の前半クラス全員についにバレてしまいました。先生は私に向かって、丁寧に「一見、同じような期限付きの約束に見えますが、内容を深く解釈していくと事例2は、期限ではなく条件の範囲内に入るんだよ」と説明をしてくれました。よく考えてみたらわかる問題だったので、少し悔しかったです。

さあ、なぜ私はこの質問をこのリレー日記で皆さんにしたのでしょうか。その答えは、この問題で私と同じミスをする人を、この場で増やすためです。私の性格上、何かミスをした時に同じミスをした人がいてくれた方が立ち直れます。私は、すぐ共感を求める傾向にあります。皆さんも経験があると思いますが、テスト勉強で前日、あまり勉強が進まなかった時でも、テスト当日に「俺昨日、何にもやってないんだよねー」という人が嘘でもいいので、いてくれると少し安心しますよね。その現象と似ています。私はこの質問で間違ってから、民法の授業が少しトラウマです。しかしこのリレー日記をあげることで、私と同じように問題に引っかかってくれる人が少しでもいれば、私は安心して授業に行くことができそうです。間違えた人がいればぜひ、私に報告してくださいね。体操の練習中でも、私が何か行き詰まったりしていたら、嘘でもいいので「俺もそれできなくなったことある」と声を掛けてくれると、とても助かります。誰でも技は狂うことだってあるし、以前できていた技がふとした時にできなくなっていたり、怪我をして練習をしていない期間のせいで、技が戻らないことだってあります。そんな時に周りは、責めるのではなく、「誰でもこういう風になるもんよ、ゆっくり戻していこう」くらいのマインドで話しかけてあげることも大切なのかな、とふと思いました。

拙い文章となってしまいましたが、以上で本日のリレー日記とさせていただきます。ご精読ありがとうございました。

ノクターン

こんにちは。本日のリレー日記を担当させていただきます、理工学部物理情報工学科2年の黒沢星海です。

 「月が綺麗だな」彼はそう呟く。真ん丸の月が斜めに僕らを照らすから、夜はまだ始まったばかりである。こんな言葉を広く日本人に知らしめた夏目漱石のリリシズムには、畏敬の念さえ覚える。その一方で、月の美しさを表現する最も単純な表現を奪ったという点では、少しばかり恨めしくも思える。

 こんな節目のときには、懐かしの再会が付き物である。自分は今まで、こんなに多くの人と関わって生きてきたのだと実感する。月日が経てば、その出で立ちも変わってしまって、誰が誰だか分からないことが往々にしてある。エピソードも薄れてしまえば、もはや他人も同然であるが、ひとたび話せば思い出が湧き出てくる。もちろん、時間が変化させるのは姿だけではない。あの頃は飲めなかったお酒を片手に、語らうことだってできるようになった。それでも、食べるものは大して変わっていなかったりする。いつか、大人びた食事を嗜む人間になるのだろうかと想像してみるが、いまいち実感は湧かない。時間はいつだって同じように進むはずなのに、そんな単純には計算できない。ただ、人生100年時代と言われる現代において、未来を考えることが重要な意味を持つことは確かだ。あの頃、届きそうもなかった遠い未来が間違いなくここに存在する。時の流れは静かで、慥かで、晦渋である。劇的なことは起こってくれないだろう。だからこそ、今日に全身全霊でしがみつかなければならない。気がついた時には、流されてしまっているかもしれないのだ。

 また逢う日まで、と杯を交わせば、月は真上近くで輝いている。なんだかお赤飯が食べたい、20歳の誕生月である。

 拙い文章となってしまいましたが、以上で本日のリレー日記とさせていただきます。ご精読ありがとうございました。

ここにはないもの

こんにちは。本日のリレー日記を担当させて頂きます、法学部政治学科2年の釜屋有輝です。

寒暖差の激しい季節となりましたが、皆様如何お過ごしでしょうか。私は先日、20歳の節目を迎え、正真正銘の「成人」となりました。お祝いして下さった方々、本当にありがとうございました。0時00分01秒以降鳴り響くLINEの通知音とともに、颯爽と携帯を手に取り、誰からのお祝いのメッセージだろうとアプリを開く時ほど至福の時間はありません。

さて、こんな私ですが無事20歳という節目を迎えることができ、嬉しい反面、大きな責任も伴うということを忘れてはいけません。泣いて許されるのは19までと言いますが(※個人的見解)、私にその権利はもう残されていません。自分自身がこの先どうなりたいか、もっと大きく言えばどういう人になりたいかを本格的に考えなくてはならない年齢に達してしまったというわけです。そこで今回は私のこれからの展望やなりたい人間像のようなものをお話しできればと思います。

かなり大雑把ではありますが、何かの象徴になるということは非常に格好が良いものです。例えばスポーツ界の象徴。これは完全に私の個人的な見解ですが、私の思うスポーツ界の象徴は今だと大谷翔平選手といったところでしょうか。毎朝のニュース番組では必ずといって良いほど、その活躍が報道され、日本に限らず世界が注目する、まさにスポーツ界の象徴です。もっと身近な所で言えば、慶應義塾の象徴も存在するでしょう。その界隈の大きさは違えど象徴とされる人物はなんらかの形で存在することは確かです。無論、象徴とされる人物は周囲からの信頼の元に成り立っていますから、簡単になれる話ではありません。私はあと3年もしない内に15年近く続けてきた競技生活を終えることになるのですが、その時に自分を必要としてくれている人がどれだけいるかがその答え合わせになるでしょう。器械体操部という組織の象徴となれるよう気持ち新たに精進して参ります。どうぞご支援の程、よろしくお願いいたします。

といったことをとあるアイドルの象徴が卒業していく瞬間を目の当たりにし、感じた所存です。
拙い文章となってしまいましたが、以上で本日のリレー日記とさせて頂きます。ご精読ありがとうございました。

自己紹介

初めまして。本日よりリレー日記に参加させていただきます、看護医療学部2年の加藤万葉(カトウ カズハ)と申します。以後よろしくお願いいたします。

今回は、初めてのリレー日記ということで自己紹介をさせていただきます。

私は熊本県熊本市で生まれました。母曰く、私の顔を初めて見たとき、まるで猿のようだと思ったそうです。母の感というものはすごいもので、私は幼いころから鉄棒や雲梯、木登りばかりしており、猿のような身のこなしだったといいます。そんな母に勧められて私は体操を習い始めました。

幼少期は様々な習い事をしていましたが、体操が一番楽しく、体操のある毎週水曜日が待ち遠しかったのを覚えています。特に大好きだった鉄棒は一生懸命練習に励み、鉄棒でけ上がりができるのに跳び箱6段で開脚飛びができない時期もありました。そのときはコーチから鉄棒禁止令が出され、涙目になりながら鉄棒以外をがむしゃらに練習しました。ありがたいことにコーチからお誘いを受け、小学3年生から選手として体操競技を始めました。選手コースでは厳しいこともたくさんありましたが、体操が好きという気持ちは変わりませんでした。しかし、私が中学生になったばかり頃に発生した熊本地震の影響でしばらく体操ができなくなりました。前震発生時、私は体操クラブにいましたが、大きな揺れに急に襲われ、体育館の天井の壁が崩れ落ちてきた恐怖は忘れられません。久しぶりに練習が再開されたとき、思うように体が動かないことに愕然としたことを覚えています。そこから満足のいく体操ができない日が続き、私は体操を辞めることにしました。その後は運動不足を懸念した母が近所のトランポリン教室に通わせてくれました。体操と似ているようで意外と体の使い方が異なるトランポリンもとても楽しかったです。

今振り返ると体操、トランポリンという競技に出会えたことにとても感謝しています。競技人生は楽しいことばかりではありませんでしたが、自身を大きく成長させてくれたものでもありますし、この競技が好きだと今では胸を張って言えます。

大学ではマネージャーとしてこの部を支えていきたいと考えております。未熟者ではありますが、部のために何ができるのか自身に問いかけながら頑張って参りたいと思います。

拙い文章となってしまいましたが、以上で本日のリレー日記を終了させていただきます。ご精読ありがとうございました。

シーズン初戦回想録

こんにちは。本日のリレー日記を担当させていただきます、文学部2年の小澤智也です。

5月も半ばを過ぎ、いよいよ東日本インカレまで2週間を切りました。過ぎゆく時間の早さに恐ろしさを感じつつ、学業と体操で目の前のことに奮闘する日々ですが、睡眠時間や食事に気をつけて健康な生活を送るよう尽力していきたいと思います。

ホームページの活動報告でもご報告させていただきましたが、私は先日、茨城県にて行われた国体予選に参加してきました。

高校生の時以来約2年ぶりの地元での大会で、新人戦に出場できなかった私にとっては昨年の全日本インカレ以来の久々の公式戦でもありました。いつもの慶應のメンバーとは違う地元出身の人たちとの試合はとても新鮮で、チームで回る時とは異なる雰囲気の中で演技できたことは良い経験、刺激となりました。一方、1週間前の神奈川県の国体予選と比べると、観客席からの声援が明らかに少なく、慶應の応援の凄さを感じたとともに、個人で試合をしたことで、チームで戦うときに日々練習を共にする仲間がそばにいることの心強さ、安心感を改めて認識しました。

また、母校の後輩とも同じ時間で試合をすることができ、久しぶりに見た後輩たちの予想以上の成長ぶりに驚かされたのと同時に、試合後に「智也さん写真撮りましょー」と声をかけてくれる後輩の暖かさが胸に沁み、後輩の模範となるためにより一層精進しなければならないと思いました。お世話になった先生方からも、「上手くなったな」「体操選手として成長したね」などとお褒めの言葉をいただき、少しは成長した姿を見せられたのかなと思います。

結果的には茨城県の代表には程遠かったものの、シーズン初戦ながらある程度自分の演技ができ、高校生のときには手の届かない存在だった先輩たちに比べても遜色なく戦えることを実感でき、自信のついた大会となりました。今回の経験をシーズンの今後の試合に活かしつつ、来年の国体予選ではより進化した姿を見せられるように練習に励んでいきたいと思います。

終始まとまりのない文章となってしまいましたが、以上で本日のリレー日記とさせていただきます。ご精読ありがとうございました。

五月病

こんにちは。本日のリレー日記を担当させていただきます、商学部2年の大脇美怜です。

5月も半ばとなり、2年生の新しい時間割や新入生を迎えた新しいメンバーでの部活動の体制にも慣れてきました。

さて、5月といえば五月病ですが、これは病気ではなく、4月に進学や転勤、就職や異動など大きな環境の変化を経験した人に起こりがちな軽度のうつ症状のようなものです。自分は今まさに五月病で、朝起きて授業に行く気がしなかったり常に気だるかったりします。部活にもまた五月病の影響を受けており、その日の目標を立てられなくなってしまったり、トランポリンを跳んでいてすぐ疲れたような気がしてしまいます。経験者の新入生が入ってきて自分の成長のなさに悲しくなって嫌になったりもします。スポーツの経験が無いためちょっとした気分の浮き沈みのコントロールも難しく、悩むことが多いです。それでも部活はほぼ毎日活動があるので、何かしらしなければなりません。4月に、最後の集合で先輩が毎日何も考えずに体育館に来るのではなく、その日やること、小さな目標は予め決めておいて来るべきだという主旨の話をしてくださいました。その時はそれは大変すぎると感じたのですが、今ではそれが成長できる人とできない人を分けるのではないか、と思うようになりました。だから、その日気が乗らないからといって何も考えずに体育館に来るのではなく、今日は疲れているがこれだけはやろう、ここまでは達成しよう、と予め大まかに決めておこうと思います。

拙い文章となってしまいましたが、以上で本日のリレー日記とさせていただきます。ご精読ありがとうございました。

期限

こんにちは。本日のリレー日記を担当させていただきます、商学部2年の稲垣香花です。

先日、新型コロナウイルスが季節性インフルエンザと同じ5類に引き下げられ、様々な制限が解除されましたが、引き続き体調管理には十分気をつけて過ごしていきたいと思います。

4月から学年が1つ上がり、少しずつ将来について真剣に考えていかなければならないなと思い始めている今日この頃です。将来について考えていく中で、自分はどんな職業に就いて、どんな生活を送りたいのか、そのためにはどのようなことが求められて、どれくらいの費用が必要なのか、また、それらの目標を叶えるための条件を自分はどれだけ満たせていて何が足りないのか、など様々な悩みが出てきました。しかし、何よりも大切なのは、社会に出たときに、一人の人間として周りから信頼されることだと考えます。

周りから信頼されるための条件の一つとして、「期限を守る」ということが挙げられると思います。残念ながら私は期限を守るのが苦手で、今までの経験した出来事を振り返ってみると、毎朝家を出るまでの過ごし方から高校受験、大学受験まで、ほとんどの場合において限界間際で危機的状況を回避してきてしまっていることに気づきました。なので、学生である今のうちに人として成長するために「余裕をもって行動をする」ことを達成すべき課題として日々の生活を送っていきたいと思います。

拙い文章となってしまいましたが、以上で本日のリレー日記とさせていただきます。ご精読ありがとうございました。

哲学的ゾンビ

こんにちは。本日のリレー日記を担当させていただきます、薬学部薬科学科3年の西尾颯馬です。

世間はゴールデンウィークの真っ最中ですが、皆さん満喫していますか。私は時間が出来たので趣味に没頭出来る時間が増えました。今回は趣味である読書について少し話したいと思います。読書というのは自分の世界に浸ることができるので、疲れた時やリフレッシュしたい時には最適です。小説からエッセイ、漫画まで幅広く読んでいます。最近は、村上春樹さんの『ノルウェイの森』を読んでいて、その独特の世界観に引き込まれています。
趣味を持つことで、日々のストレスを解消し、自分自身をリセットすることができるので、大変重要だと感じています。趣味は、自分の心の支えにもなりますし、他人との会話のきっかけにもなりますので、積極的に趣味を楽しんでいきましょう。

ここまで読んでくださった方には大変申し訳ございませんが、上の文章は私が書いた文章ではありません。巷で話題のChat GPTに私の文章の癖を読み取らせ0から書かせたものです。読書は苦手ですし、村上春樹に“さん”をつけたことは人生で一度もありません。

最近のAI技術の発展は本当に目を見張るものがあります。2045年にはAIが人類の知能を凌駕すると言われていますが、そこに向け着々と歩みを進めている印象を受けます。技術がますます発展していく中で、パラダイムシフトが起こり求められる能力も変遷していくでしょう。その中で果たしてどのような能力を身に付けるべきなのでしょうか。近頃、考えることが増えたため、この機会に今の考えをまとめてみたいと思います。

変わらず、人間関係を構築していく力は求められるに違いありません。人間が存在する限りコミュニケーションは無くならないでしょうし、むしろ重要性が増していくはずです。

また、自己管理能力や向上心がより必要となってくるでしょう。今後AIが最適解を提示する精度がさらに上がっていきます。その指示に従うと有利に進む場合が多くなると考えられます。最後に、無から有を見出す能力です。AIと共に行き過ぎた効率化の先には何も待っていません。おそらく生きる意味も分からなくなります。努力や仲間との繋がりといった部分に価値を感じられることは重要であると思います。

こうして考えてみると、体育会の活動で学べることは決して時代錯誤のようなものではなく、むしろこれからの時代でも有効なものだと感じました。改めて貴重な環境に身を置かせていただいていることに感謝をしながら、日々過ごしていきたいと思います。

拙い文章となりましたが、以上で本日のリレー日記とさせていただきます。ご精読ありがとうございました。