オッカムの剃刀

こんにちは。本日のリレー日記を担当させていただきます、理工学部管理工学科2年の庄司眞菜です。

暦の上では秋となりましたが、日中はまだまだ暑さが続いております。皆様はいかがお過ごしでしょうか。九月に入ると夏休みも折り返しとなり、折り返しと思うと長いような短いような不思議な感覚がございます。

長い夏休みをどのように過ごそうかと考えていた私に、学部の友人が非常に興味深い本を勧めてくれました。その友人とは春学期に同じ授業を受講しており、その講義の中で「ニュートンは神の所業を知りたかった」というスライドをみました。信仰する宗教も神もいなかった私たちは、そこまで論理的に事実だけを追求し物理学を極めてもなお、神の存在を信じるのか、と疑問に思っておりました。そこで友人が勧めてくれたのが『科学者はなぜ神を信じるのか』という本でした。

読み進めるうちに印象に残ったのは、仮説を立てる際の姿勢についての記述です。本の中では「仮説はより簡潔な方が正しい可能性が高い」という考え方が繰り返し示されていました。いわゆる「オッカムの剃刀」と呼ばれるこの考え方は、私たちが普段問題を解いたり数式を扱ったりする際にも通じるものです。余計な条件を積み重ねるよりも、シンプルな原理が最も多くの現象を説明できる。そして、そのように選ばれた仮説がやがて定説となり、私たちの世界理解を少しずつ深めてきたのだといいます。科学的な方法論であるはずなのに、そこには「美しさ」や「調和」といった、人間が本能的に惹かれる価値観が深く結びついているように思われ、非常に興味深く感じました。

また、この本を読んで心を動かされたのは、世界そのものが合理的で、思いのほか「きれい」にできているという視点でした。自然界の法則は複雑に見えても、突き詰めていくと驚くほど簡潔な数式に収束することがあります。重力の法則も、電磁気学の公式も、まるで異なる現象を扱っているようでいて、掘り下げると似たような形に収まっていく。その合理性と統一感は、ただ学問として知るだけでなく、人間の感覚や感情にも深く訴えかけてくるように感じました。

読み終えて改めて思うのは、科学を学ぶことは単に知識を積み重ねることではなく、世界の成り立ちを「きれいだ」と感じる心を育てることにもつながっているのではないか、ということです。私自身、学問と宗教や信仰は無関係だと考えてきましたが、科学の合理性や簡潔さに美を見いだす姿勢は、神を信じる人の心に近いものがあるのかもしれません。

そして、ふと部活の練習に立ち返ってみると、同じような発見があるように思います。体操の技も一つひとつは難解で複雑に見えますが、繰り返し練習する中で「この姿勢に収束すれば安定する」というシンプルな原理に気づく瞬間があります。理屈ではなく身体を通して実感するその合理性は、科学の美しさとどこか通じているのかもしれません。これからも、そんな発見を楽しみながら練習に励んでいきたいと思います。

拙い文章となりましたが、以上で本日のリレー日記を終わらせていただきます。ご精読ありがとうございました。