こんにちは。本日のリレー日記を担当させていただきます、経済学部3年の内田祥子です。
余寒の候、皆様いかがお過ごしでしょうか。暦の上では春となりましたが、まだまだ寒さは続きそうです。私はここ数日に限らず、慌ただしい日々を送っておりますので、体調管理に気をつけ、残り約1年となった大学生活を大切に有意義に過ごしたいものです。皆様も寒さ厳しき折、どうぞご自愛ください。
突然ですが、皆様は羨望や憧憬という感情を抱いたことはありますか。多かれ少なかれ羨望や憧憬の感情を抱いたことのある人の方が多いのではないかと考えます。これらの違いは、英語で羨望はenvy、憧憬はlongingと表現できます。意味については文字からも推測できるように、前者は羨ましさや妬ましさなどネガティブな感情を含む一方、後者は純粋な憧れや尊敬などどちらかというとポジティブな感情を含む場合が多いです。どちらの感情も自分や相手にとってプラスの効果を与えることもあれば、マイナスの効果を与えることもある両方の側面を持ったものであると言えます。
個人的な話になりますが、私はこれまで憧憬という感情をあまり抱いたことがないように感じています。正確にはこの感情を忘れているのかもしれません。例え話ですが、自分がこんなふうになりたいと思うきっかけを与えてくれた人がいたとします。最初は純粋にその人みたいになりたいと思っていたけれど、途中で本当は別のことをやりたいのだと考えが移り、かつての憧れは自分の中でいつのまにか消えているというようなことになります。またはかつての憧れの存在が残り続け、その憧れた人物にかなり近づいたとします。その時、憧れという感情は消え、手が届きそうな故に感じる羨ましいと思う感情へ変わります。これらはよくある話であるかもしれません。しかし、一方で人は憧れたものに大きく影響を受け、憧れと夢や理想はかなり近いものだと言われています。矛盾したことを言いますが、個人的には一種の憧憬の念は常に抱いておきたいものです。
もう少々脱線させていただきます。哲学染みた話になりますが、皆様は自分の‘見えている’世界について考えたことはありますか。‘見えている’と言うのは、物理的に観察できるものに限らず、所謂心理的、精神的な世界に属するものも全て含みます。以前哲学者が言ったのは、自分に‘見えている’ものは本当は世界に存在しないかもしれないということです。少し意図からは外れますが、要は自分が‘見えている’ものが全てではなく、他者には他者の‘見えている’ものや‘見え方’がある。それを理解する必要があるけれど、本当に理解することは難しいということです。
憧憬も羨望も自分の見ている、見えているものが変わることによってその対象も変わり得ます。自分が見えていないものが見えている人を羨ましく思うことも多々ありますが、羨望も憧憬も感情であり、うまくコントロールしないと自分も他者も不幸にしてしまう可能性があることを認識し、活用していきたいと思います。
曖昧でまとまりのない文章となってしまいましたが、以上で本日のリレー日記を終了させていただきます。ご精読ありがとうございました。