初めまして。本日よりリレー日記に参加させていただきます、文学部人文社会学科1年の小澤智也(オザワ トモヤ)と申します。以後宜しくお願い致します。
今回は初めてのリレー日記ということで自己紹介をさせていただきます。
私は茨城県の美浦村という人口2万人弱の小さな村で生まれ、高校卒業までの18年間をそこで過ごしました。幼い頃は特にスポーツに興味はありませんでしたが、兄が地元の体操クラブに入っていて自分もなんとなくやりたいなぁと思い、小学校入学と同時に体操を始めました。その頃の私は上手くいかないことがあるとすぐに機嫌が悪くなってしまい、体育館の隅で泣きじゃくって先生を困らせていた記憶があります。また、練習場は小学校の体育館を借りていたため練習の度に器具を出し入れしなくてはならない上、吊り輪や平行棒はなく、決してよい環境とは言えませんでした。それでも周りの子と競うように技を覚えることを楽しんでいました。
同期のほとんどが小学校卒業と同時に体操から離れていった中、体操を続けたいと思った私は体操部のあるつくば市の茗渓学園中学校高等学校に入学しました。そこで初めて6種目すべての器具やピットに出会い、大いに成長できると期待に胸を膨らませていました。中高一貫校だったため練習では高校生からアドバイスをもらったり、演技を間近で見たりすることもできました。そのような素晴らしい環境下でめきめきと力をつけていき、中学3年生の時には茗渓初の団体での全国総体出場も成し遂げることができ、今振り返ると、中学生の頃はケガこそあれど順調そのものだったと思います。
しかし、高校生になると試合で失敗することが増えました。練習でどれほど上手くいっていようが手を挙げるといつも通りのことができず、1つミスをすると立て続けにミスをしてしまうことも多々あり、何度もチームに迷惑をかけました。高校3年生のときには運よく茨城県の国体選手になることができましたが、その選考会でも引退試合の国体の関東ブロックでも、自分の満足する試合をすることはできませんでした。
引退後、国体を共に戦ったメンバーがインターハイで活躍するのを見て、このままでは終われないと思い、大学でも体操を続けたいという一心で勉強に励み、ご縁があって慶應義塾大学に合格することができました。新しい環境でまだ色々と不慣れなこともありますが、慶應義塾体育会の器械体操部に入ってよかったと思えるような4年間にできるよう、日々精進していきたいと思います。
拙い文章となってしまいましたが、以上で本日のリレー日記を終了させていただきます。ご精読ありがとうございました。