無駄な時間を過ごしてみる

こんにちは。本日のリレー日記を担当させていただきます、法学部政治学科1年の釜屋有輝です。
ここ最近は日本中がサッカーワールドカップに釘付けになっています。まさに私もその一人です。11月23日のドイツ戦、12月2日のスペイン戦では日本がサッカー史に残るような試合を見せてくれました。ワールドカップ優勝経験のあるこの2か国に日本が勝利するなど誰が予想したことでしょう。と、あたかもサッカー大好き人間のような口ぶりをしてしまいましたが、実を言いますとサッカーのサの字も知らないような人間ですのでこれ以上サッカーの話をするのはやめておきます。

そんなサッカーのルールをこれっぽっちも知らない私(実を言うと、「オフサイド」が何のことかもいまひとつわかっていません)ですが、サッカーファンからすればそんな人がサッカーの試合を見て何が面白いんだ、時間の無駄じゃないかとツッコみたくなるかもしれません。現に、12/1のスペイン戦を朝4時からライブで観ることを両親にLINEで伝えたところ、早く寝ろだの、その日の授業はどうするだの、色々と言われてしまいました。言わば必要のない時間を過ごすことはこれほどまで否定されることなのでしょうか。
一説によると、どうやら人間は遊びで進化し、まさに無駄に無駄を重ねてできた生き物だそうです。これはオランダの歴史家ヨハン・ホイジンガ著『ホモ・ルーデンス』の一節です。著者はホモ・ルーデンスを「遊ぶ人」と位置付けています。そして、遊ぶこと自体に何か物質的利益や効用が織り込まれているわけではないにも関わらず、遊ぶことによって私たちは今の文化を作り上げ、それこそが人間活動の本質となっているとしています。ではなぜ人間は遊びが必要不可欠でないのに、これほどまでに遊びに執着するのでしょうか。必要不可欠でないなら、それはある意味、時間を無駄にしているとも言えると思います。しかし、私たちは子供の頃から遊ぶことが面白いものだということを知り、それが自分にとっての自由な行動であることを認識したからこそ今でもそれを欲しています。時間を無駄にすること、それは無意味の一言で片づけられがちですが、無駄な時間の中にも何かしらの趣を感じることができれば、それはもはや無駄ではなく、有意義と言えるのではないでしょうか。ということでそんな無駄な時間にも多少なりとも意味が保証されたので、引き続きワールドカップに注目していきたいと思います。

拙い文章となってしまいましたが、以上で本日のリレー日記とさせていただきます。ご精読ありがとうございました。