自己紹介

初めまして。本日よりリレー日記に参加させていただきます、法学部法律学科1年の立花陽空(タチバナ ヒア)と申します。以後宜しくお願い致します。

今回は初めてのリレー日記ということで自己紹介をさせていただきます。

私は宮城県仙台市に4人兄弟の長男として生まれ、中学三年生まで仙台で過ごしました。家の近くには、フィギュアスケート選手の羽生結弦選手や荒川静香選手が練習していたアイスリンク場があったりと、小さい頃からたくさんのスポーツに触れてきました。初めは小さな体育館で友達とトランポリンを跳ぶことが楽しく、体操教室に通い始めました。

2011年3月11日、小学校1年生の頃です。あの大きな震災と津波により家に帰れない日々を経験しました。学校の体育館で何日も震えながら過ごしていた日々は、一生忘れないです。そんな中、震災復興プロジェクトにより東京体育館で行われた「世界体操2011」に招待されました。目まぐるしく披露される技に当時、小学校1年生ながらとても感激しました。人々を演技で感動させることができる、その魅力に惹かれ体操を本格的に始めました。小学校の頃は地元のクラブに通い、毎日21時まで練習に励み、帰りの高速道路で毎日お弁当を食べていたことを懐かしく思います。練習では床と跳馬のことしか考えておらず、クラブの先生に何度も叱られることもありました。

中学生になるとクラブだけではなく部活として体操に向き合いたいと思い、亀山耕平選手の母校である東北学院中学校に入学しました。授業が15時に終わると18時半まで部活に励みその後車で移動をし、クラブで21時まで練習を行っていました。中学生の頃は特に怪我が多く、骨折しながら全国中総体に出場したこともありました。中学生の試合では、中学生で初めて4回ひねりを公式試合で成功しました。あの時の達成感は今でも忘れません。高校生で慶應義塾高校に入学すると、他の学校とは違い先生と生徒同士で教え合うだけではなく、先輩と後輩同士でも教え合っている姿がとても印象に残っています。初めはなかなか試合のメンバーに入ることができず、悔しい思いをしたことを今でも覚えています。高校2年生になると新型コロナウイルスにより大会が中止になり、自宅でのトレーニングに専念する毎日を送っていました。この期間があったからこそ、普段気づくことができなかった体操の基礎的部分やトレーニングを一から学ぶことができた反面、3年生と一緒にインターハイの舞台に立つことが叶わなかった辛い思いも経験しました。高校3年生で主将という立場になり、年度初めにインターハイ決勝に出場する目標を掲げました。その言葉通り、決勝の舞台に立つことが叶い慶應の体操を全国にアピールできたことが何よりも嬉しかったです。

大学生では今まで積み上げてきたダイナミックな演技と共に、技の完成度や美しさも意識して観客を魅了させる、そのような印象に残る選手になります。これからどんなに辛いことに直面しても、頼れる同期、先輩、後輩と助け合いながら慶應義塾体育会器械体操部を盛り上げていきます。こんな私ですが、応援していただけるとありがたいです。

拙い文章となってしまいましたが、以上で本日のリレー日記を終了させていただきます。ご精読ありがとうございました。