色眼鏡のすゝめ

こんにちは。本日のリレー日記を担当させていただきます、薬学部薬科学科3年の西尾颯馬です。

前回のリレー日記ではチャットGPTを使用しましたが、今回はきちんと全て自分で書くよう努めます。

例によってリレー日記の周期が回ってくるたびに内容を必死に考えますが、私はなにせ発想が貧困ですのでなかなか即座に内容を考えつくことができません。“リレー”日記ということで今回は、前回担当の永野のリレー日記の文中「目線を感じた」という箇所から着想を得て、駄文を連ねていこうと思います。

突然ですが、皆さんは視線を感じたことはありますか。ふと誰かに見られているような感覚に陥り、振り向くと誰かと目が合う、誰もがそんな経験をしたことがあるのではないでしょうか。
実際に人間には視線を感じるシックスセンスのようなものがあるのか否か。

その答えは”否“だそうです。
視線を感じて振り向いた時に誰も見ていない場合、即座に記憶から抹消される一方、見られていた場合は強烈に印象に残るためこのような現象が起こると言われています。(諸説あり)
私たちは実際には起こっていないことでも都合が良く、自分が理解しやすい形で世界を捉えようとしているのです。そして私たちは色眼鏡を通すことでしか世界を認識することが出来ません。ですが、その色眼鏡は十人十色、交換も可能です。ゆえに絶対的な世界でも明るい見方、歪んだ見方といった様々な見方が出来ます。
私はここしばらくの間怪我ばかりしているため、しばしば暗い気分になることがあります。というのはどこか自分が不幸だ、恵まれない奴だ、という色眼鏡で自分自身を見ているからに違いありません。先述の通り、たかだか捉え方の違いで違った世界に見えるのですから、私の見える世界から哀れな自分の存在が見えてしまうことは無いようにしたいと思った今日この頃でした。皆さんも素敵でお似合いな色眼鏡を着用してみてはいかがでしょうか。

次の“リレー”日記の担当の人がどんなバトンを継いでくれるのか楽しみにしています。などとハラスメントまがいなことをしてみたりします(無視してください)

拙い文章となりましたが、以上で本日のリレー日記とさせていただきます。ご精読ありがとうございました。