Against

平素より大変お世話になっております。

慶應義塾体育会器械体操部主務の井上です。

と書き始めるメールを書くこともあと少し。最初は1回1回緊張していたメールも、今では部活で、研究で、バイトで疲れた帰りの電車でも返せるようになりました。

今回は最後のリレー日記ですので、僭越ながら私の体操部ライフについて書かせていただきました。総じて言えるのは私がここで過ごした3年間は、多くの人の支えがあってこそ成り立っているということです。いつもより少し長くはなりますが、お付き合いいただけますと幸いです。

私は大学入学当時、体育会に入るつもりは毛頭ありませんでした。理工学部という所謂「忙しい」学部へ進学することを決め、何よりも勉学第一に、スポーツは趣味程度にできればいいなと思っていました。

しかし私が大学に入学したのは2020年4月、そう、コロナが始まりステイホームが叫ばれ、大学に行くことすら許されなかった時期です。5月からオンラインでの授業が始まりましたが新たな友達もなかなか出来ず、刺激が少なくもどかしい時間が続きました。そんな中でこのままでは充実した大学生活とは言い難いと感じるようになり、目標を持ちメリハリのある日々を目指し入部を決めました。詳しくは過去のリレー日記にもあるので割愛させていただきます。

当時4年だった先輩方には言葉には表しきれないほど多くのことを学ばせていただきました。

「一枚岩」というビジョンのもと、たくさんの施策を高大全体、器械トラ共に行っていた先輩方。運営でもマネージャーを積極的に巻き込んでいただいたお陰で8ヶ月の間に大きく成長することができました。先輩方は皆選手でありお忙しかったとは思うのですが、練習前にはやってほしいことを指示してくれたり、練習中も様子を見に来てくれて。ここでは表しきれないほど感謝していますし、尊敬しています。そんな先輩方に導いていただいて私はマネージャーに出来ることならなんでもしようと、がむしゃらだった気がします。

そんな尊敬する先輩方は、引退の際に私にこんなメッセージをくださいました。

「万由が入部しなかったら体操部はオワってた。」

「万由がいるから安心して引退できる。」

「本当に入部してくれてありがとう。」

この言葉を全て真に受けるほど驕り高ぶっていたわけではありませんが、この言葉は私の存在価値を確かなものにしてくれました。マネージャーは裏の仕事が多く、感謝の言葉を直接もらうことは少ないポジションです。この先輩方の存在とメッセージのおかげで私は途中で投げ出すことはせず、最後まで絶対にやり切ろうという決心がつきました。

そんな頼もしい先輩方が引退されてすぐ、入部わずか9ヶ月にして私は幹部になりました。副務として主務の先輩をサポートしたり、部会に参加し始めたことで体操部に本格的に貢献できるようになった時期です。

1つ上の代の主務の先輩は選手をされており、また資格の勉強もされていたため、いい意味でマネージャーを自由にさせてくれました。慶同戦のマネジメントを全てやらせてくれたりしたのは私にとってとてもやりごたえのあることでもありました。今でもマネージャーとして一番やり切ったと感じられる行事です。それでもって必要な時はすっと手を差し伸べていただきました。先輩にとってはたまにタメ口が出てしまったり納期を急かしたりと生意気な後輩だったと思いますが、感謝の思いでいっぱいです。

マネージャーとしてのやり甲斐を感じると同時に学業との両立がしんどくなってきたのもこの時期でした。研究室選考に使うポートフォリオの作成が間に合わず、ジャパンオープンの時は人生初の3徹。昼間は会場では試合帯同に専念、ビデオを撮ったり、選手の髪型をお団子にして崩れないようにガチガチに固めたり(笑)してました。一方でお昼の時間は近くのカフェに行き製図に取り組み、帰りは夜通しでパソコンとにらめっこし、気づいたら朝になりまた試合に向かう。自分でもなぜあそこまでできたのか、今でも不思議ですが人間は本当に限界を超えると一切眠くならないらしい。余談ですがこの期間で学んだことでした。このような状況に後輩たちが陥らないことを願います。

そして1つ上の代の引退が近づくと、最上級生としての使命はなんだろうか、ということを考えるようになります。マネージャーとして一番に大切にしていたのは、チームの皆が競技に打ち込める環境を作ること。その上で、最上級生は体操部が進む道を前に立って先導していかなくてはなりません。いざ最上級学年になるとその難しさを実感しました。ただでさえ膨大な仕事、追われるタスク、滞っている研究…不安要素が次々と生まれた時期でした。

正直、最上級生としての役割は胸を張って果たせたとは言えません。選手でもない私が1人でチームを引っ張っていく覚悟が持てるほど強くはありませんでした。

でもマネージャーとしてはよくやったと自分を褒めてもいいのかと思えるほどには活動できました。先輩方から繋いできたバトンも、次に引き渡せるところまで来ました。あとは、無事に後輩たちが走り出してくれれば私は真に走りきったと思えるでしょう。

沢山のことを学ばせいただいた体操部ですが、思い返すとここまでやってこれたのは近くで支えてくれた方々がいてこそでした。

1人で抱え込んでしまいがちな私でしたが、限界に近づくと無理矢理にでも予定を空けて話を聞いてくれた1つ上、2つ上の先輩方。引退した後でもすぐに駆けつけてくれる大きすぎる愛のおかげで最後まで走ってこれました。

自分の行く道が分からなくなってくれたときに、いつも話を聞いてくださった首藤先生。泣いている私に「俺がいじめたみたいになっちゃうじゃん!」と言いながらあたたかく見守ってくださった首藤先生には感謝の念でいっぱいです。「マネージャーいつもありがとうね」という首藤先生の言葉は私のやる気スイッチをオンしてくれます。

また常に学生の味方をしてくださる久永先生。沢山の人々の意見があるなかでどうすればいいか分からなくなったとき、久永先生と話すと単純かつ明快な意見をいただけてハッとさせられることがありました。真面目に捉えすぎずに楽しく考えよう、そう思えるようになったのは久永先生のお陰です。

そして1人になった私が寂しくならずに体育館に行き続けることができたのは温かい後輩たちの雰囲気があってこそです。ぱっとご飯誘ってくれたり、体育館でもフランクに話しかけてくれる後輩たちに何度助けられたか分かりません。

最後に家族にも感謝を伝えたいです。体育会に入ろうか迷っていたときに背中を押してくれた母、体操部入ったと言ったらテレビで体操の試合を見るようになったり、私が出場しなくとも早慶戦、慶同戦を見にきてくれた父。受験生の妹のことで大変な時期なのに部内戦にも両親共に今度来てくれるみたいです。これからもよろしくね。

長くなってしまいましたが、以上で本日のリレー日記とさせていただきます。

皆さん今までお付き合いいただきありがとうございました。

これからも後輩たちの活躍にご期待ください!