限界突破の美徳化によるリスク

こんにちは、本日のリレー日記を担当させていただきます、環境情報学部1年の上田乃維です。季節の変わり目で体調を崩しやすい時期ということに加え、いまだに新型コロナウイルスが猛威を奮っている状況ではありますが、体調管理には入念に気を配り日々を送っております。皆様におかれましては、いかがお過ごしでしょうか。

歴史上の偉人や大きな成果を残したアスリート、有名な起業家などの言葉で、「自分の限界を越えろ」という言葉をよく耳にしたことがあります。「努力することが大切」、「無理してでも頑張れば必ず報われる」など、己を鼓舞する名言や格言は世の中に溢れかえっています。
もう聞き飽きました。本当に限界を超えることが正解なのでしょうか。限界は自分の身を守るための領域であり、その一線を越えるということは何かしらのリスクを伴います。現代の日本は、限界を越えること、リスクを負ってでも何かを成し遂げることが美徳化され過ぎていると思います。もちろん我武者羅に努力することを完全に否定しているわけではありませんし、自分自身も限界を超えて努力した経験を持っているつもりです。しかし、大学生になってから自分が社会人になるという遠い未来が少しづつ現実味を帯びてきて、どのような働き方をしたいのか、どのような人間になりたいのかを考える時間が増えました。自分の能力値や特性、苦手分野などを把握したうえで、頑張らないでも手の届く分野で、自分の力量の範囲内で成果を出せる人間になりたいという考えに至りました。決してそれが絶対の正解だとは思っていませんし、今後また考え方が変わるかもしれません。

ここで私が言う、頑張らないの定義は、決して怠けると言う意味ではなく、根性論で戦わず、戦略的に物事に打ち込むということです。自分が無理をして頑張って成し遂げるようなことを、なんの努力もなく簡単にできてしまう人がいます。私は今までそれはその人の才能であるという考え方に逃げ、自分の努力を正当化してきました。しかし、それはただ単に自分の手の届く領域ではなかったというだけです。その努力を適切な方向へ向け、自分の無理しない範囲で成果を出すことができれば、同じ労力でもより大きな成果を得ることができると思います。この過程と、自分の力の及ぶ領域を適切に判断し、より大きな成果を頑張らずに得る、ということを体操部での活動や、大学の授業、学問を通して会得していきたいです。

拙い文章となってしまいましたが、以上で本日のリレー日記とさせていただきます。ご精読ありがとうございました。