パラノーマルワンダーランド

こんにちは。本日のリレー日記を担当させていただきます、理工学部物理情報工学科2年の黒沢星海です。

2002年、ノーベル物理学賞を受賞した日本の物理学者、小柴昌俊名誉教授(当時)にはこんな逸話がある。たくさんのメディアが集まり、彼の偉業を祝うべく取材する中、とあるリポーターが研究内容について、社会にどのように役立つのかと質問した。先生はしばらくの沈黙の後、「まあ普通の生活には全く役に立ちませんね。」と答えたという。

それでいいのだろうか。ノーベル賞受賞当時、彼はおよそ76歳。文字通り人生を捧げた、その研究は社会の役に立たない、と言い切った。ノーベル賞を受賞するだけの頭脳と労力を、もっと役に立つことに活用してもよかったのではないか。けれども彼は、物質の根源に迫る研究を、役に立たないと思ったその研究を、生涯貫き通した。それは恐らく、遥か未来で次の研究を支える土台になると、彼は強く信じていたからだろう。いつか誰かがこの研究に意味を持たせてくれると。そして何より、物理学の世界に魅了されてしまったのだろう。

 

かくいう私も、器械体操というスポーツに魅了された結果、現在の環境に身を置いているわけである。今までの人生の様々な出来事が積み重なり徐々に形成された価値観であるが、中でも特に、高校2年生の時に開催された球技大会が滾るスポーツへの強い情熱を与えてくれた。突如襲った未曾有のパンデミックによって普通が奪われた当時、当然スポーツも例に漏れず制限されていた。これまでの自分は何に向かって進んでいたのか、状況を飲み込み切れないままそんな疑問を抱き、徒に過ぎていく日々の中でニヒルを感じていた。3年生の春を迎える直前に開催されたその大会では、バレーボール優勝を目指して、クラスが一致団結し小さなコート中に励ましや賞賛の声が飛び交った。なぜだか分からないが、自分自身もその中に含まれているにも関わらず、その光景に強く心動かされた。たかがスポーツが、人々を奮わせる。もちろん皆は、総合優勝に向けてただひたすらに、競技や応援にのめり込んだのだろう。ただ、バレーの得手不得手は関係なく、全員がその瞬間を楽しみ、同じ目標へとひとつになったその時間が、私には美しくて堪らなかった。そしてその感情は、凍っていた心の灯火に再び明かりを灯したのである。結局その大会は優勝することが出来なかった。それでも暖かな満足感に包まれていたのは、恐らく私だけであっただろう。

そのとき一緒にバレーをした同級生たちも今は様々な場所で大学生となった。新しい挑戦をする者、変わらぬ夢を追う者、三者三様であるが、もちろんその中には挫折を経験した者もいる。大学受験が上手くいかなかったり、大学での競技生活に届かず夢に敗れたり。私は、とても幸いなことに、今もやりたいことができる環境にある。私はこの情熱をこれからも絶やさずに灯し続けていきたい。そして、これから出会う人々に少しの灯火を分けてあげたい。あの日彼らが特別な意味もなくがむしゃらにやったバレーボールに、私が意味を与えたように、今日の私の努力をいつか誰かが意味を与えるように。

 

周波数の単位でお馴染みの、ドイツの物理学者ハインリッヒ・ヘルツは、当時予言されていた電磁波の存在を実証するという功績を上げた。彼の実験に立ち会った学生は、結果に深く感動し、「これは今後何の役に立つのか」と尋ねた。するとヘルツは、「多分何も無い」と答えたそうだ。

ヘルツが役に立たないと感じた電磁波の実証は、時を経て無線通信に応用されることとなる。現代の我々からすれば、何を言っているんだとツッコミたくなる会話だ。しかし我々も、未来のことが明瞭に見えるわけでは無い。自分が信じた行動の数々は、全く意味が無いかもしれない。けれども実際、ヘルツの行いは未来の人々によって意味付けされた。それら、物理学が、器械体操が、先輩後輩が、同期が、私を魅了して止まないのなら、それだけで十分であると思う。私にとって体操とは、普通を超えた、楽しく、辛く、怖くて愉快な摩訶不思議な世界である。そんな世界が私を魅了してたまらないのだから、それに従って体操に打ち込むしかない。学びの場でも、仕事場でもない、パラノーマルワンダーワールドなのである。

長い文章となってしまいましたが、以上で本日のリレー日記とさせていただきます。皆様、2024年のリレー日記もどうぞよろしくお願いいたします。ご精読ありがとうございました。