生きる

こんにちは。本日のリレー日記を担当させていただきます、法学部法律学科4年の南和希です。

6月とは思えないとんでもない暑さですが、皆様お元気でしょうか。電気代が上がる中、空調を使うことに後ろめたさを感じながら、私はリレー日記を書いているところです。
この時期は体が暑さに慣れておらず、熱中症になりやすい時期とのことなので、こまめに水分補給をしたり適切に空調を使うなどして、体調管理には気を付けていきたいところです。

最近はうまくいかないことが多く、憂鬱な日々を送っています。将来に向けて重要な時期なのは分かっているのですが、毎日を生きることがこんなに苦しいのに、何のために自分が生きているのかということばかり考えています。
以下はまだ20年しか生きていない私の現時点での考えにすぎないので、これ必ずしも正しいとは思いませんが、こんな人もいるんだ程度に読んでいただければと思います。

そもそも自分が生きることは、自分にとって意味はあるのでしょうか。
人は誰でもいつかは死ぬもので、いわば「結果」は決まっています。生きているうちに私がどんな経過をたどっても(素晴らしい業績を残しても、悪い行いをしても、どれだけさまざまな経験をしても)、死という結果は変えることができない以上、いま生きていることの意味はないとも思えるからです。私の行いによって、周りの人や社会に対して何らかの影響を与えることができるのであれば、私の存在は社会的には意味があっ たことになるかもしれませんが、私にとっては、私が死んでしまえば私はもう存在しない以上、社会的に評価されることはもはや自分には関係がなく、自分にとって意味はないと思ってしまいます。

しかし、せっかく生きる機会をいただいている以上は、死ぬまでの経過の中に何か目的や目標を見つけなければ思い、何を目指して生きるべきかを考えています。

生きる目的は人それぞれだと思います。お金をたくさん稼ぐことや出世をすることなど、いくつか思い浮かぶものはあり、全てが正解だと思いますが、現時点での私の生きる目的は幸せだと思えること(思えるようになること) なのではないかと思っています。人から評価されることが重要視される時代ではありますが、評価は見る人の目や時代の価値観によって変わってしまうもので不安定ですし、外から与えられるもので自分自身の中から出てくるものではありません。結局は、自分自身で生きていることを実感できることが大事なのではないかと思います。

昔から私は、何があっても自分が不幸せになることだけはないと漠然と信じている変わった人間なので、目的を上のように定めるのであれば不安はあまりないのですが、うまくいかないことが続くと落ち込みます。その時は、うまくいかなかったことが将来の幸せのためになると信じて、できることを続けていくしかないと思っています。
私の競技人生も残りわずかですが、目標を達成できるように全力で頑張ります。

今後ともご指導ご鞭撻のほど、何卒宜しくお願い致します。

以上で本日のリレー日記とさせていただきます。最後までお読みいただきありがとうございました。