成功体験に関与する運とその捉え方

こんにちは。本日のリレー日記を担当させていただきます、環境情報学部2年の上田乃維です。
11月に入り、冬の寒さを感じ始めておりますが、皆様におかれましてはいかがお過ごしでしょうか。4年生の引退が近づき、いよいよ自分がトランポリンのトップの立場となり、体操部の副主将を任せていただくこととなりました。より一層責任を持って部活に関わるとともに、より多くの皆様から応援してもらえる、愛される組織となるよう努力してまいります。

さて、本日のテーマは、「運」についてです。体操にも共通する部分はあると思いますが、トランポリンは個人競技であるため、精神面での影響は多少考えられるものの、他の選手の演技によって自分の得点が変わるということはありません。しかし、大会の順位、結果に関しては他の選手の得点が大きく影響します。トランポリンは異なる10種目を行いますが、途中で台から落ちてしまうと、体操のように途中からやり直すということはできなくなります。つまり、どんなに強い選手でも、1本目でベッドから外れてマットに触れると0点になってしまい、勝利を逃してしまいます。逆にいえば、実力的には絶対に勝てないような選手がいても、その選手が失敗すれば、勝ててしまうわけです。決勝の舞台で他の選手の中断が多ければ、自然と順位は上がってしまいます。仮に他の選手の失敗が重なった上で優勝することができたとして、それは果たして実力なのでしょうか。私はまだ、自分の中でこの答えを出せていません。

これまでの自分の成功体験に目を向けると、大会で優勝した要因に運が絡まなかったことはないように感じますし、慶應に合格したのも、実力だけではないように感じてしまいます。もう一回その大会をやり直しても優勝できるのか、もう一回入学試験を受けても合格できるのか、その答えは分かりません。運も実力のうちという言葉もありますが、運の絡む勝利に100%の自信を持つことは容易ではありませんし、認めてしまっていいのか不安になってしまうこともあります。

ここまでは少しネガティブな内容になってしまいましたが、成功の要因と運に関して、実際に実力が関与できる範囲はあるのでしょうか。例えば受験の英語長文で知っている単語が多く出れば、運良く自分の得意な問題が出たから高得点が取れたという結論に辿り着くかもしれません。しかし単語の勉強を精一杯頑張った受験生とあまり単語の勉強をしなかった受験生では、単語に関する守備範囲に差異があります。運が良かったという同じ結論でも、その過程に差異がある状態であれば、確率的に前者の方が良い結果を得ることができるでしょう。練習でできないことは本番ではできないとよく言われますが、練習での成功率が100%でない限り、試行回数が一回の本番では失敗する確率もあります。これを踏まえると、本番の成功もある種の運であるように捉えられてしまうかもしれません。

「運」という言葉の捉え方は人それぞれであり、定義も曖昧なため、答えはないようにも感じますが、私の運の捉え方としては、努力によって関与できる運と、自分の行動の影響を受けない運があると考えています。成功のための練習は、努力によって関与できる運要素はどこにあるのかを判別した上で、そこに向けて精一杯の努力をすることだと考えています。これからの練習でも自分が成功するためにはどこに力を注ぐのが一番効率がいいのかを考えながら、頭を使った練習を心がけていきたいです。

自分の中でも答えが出ておらず、まとまっていない内容を綴ってしまったため、支離滅裂な文章となってしまいましたが、ご容赦ください。これからも体操部の練習を通して、少しずつ自分の考えをまとめていけたらと思います。今後ともご指導ご鞭撻のほど、よろしくお願いいたします。ご精読ありがとうございました。